山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第485回

2020.03.13

 写真は、雛道具(ひなどうぐ)の「貝桶(かいおけ)」と「合貝(あわせがい)」です。

 

本来の貝でなくては合わせられないため、新婦が他の夫を迎えることはしない、という意志を示すものとして、婚礼道具において、貝はもっとも重要なものとされていました。

 

家と家との関係を強くすることが目的であった前近代、大名などの武家にとって、婚礼はそのすべてが政略的なものでした。したがって、せっかく結んだ縁も、実家の動向いかんでは、離縁となることもよくありました。

 

特に、所領をめぐって、まさに命を懸けて争っていた戦国時代には、離縁や死別も多く、それに伴う混乱が生じないように、工夫がなされていました。

 

毛利元就の七男元政は、毛利氏と同じく安芸国(広島県)の在地領主であった天野氏の養子となった人物です。この養子縁組は、天野氏の方から申し入れたものでした。

 

天野氏よりの申し出は二度に及びました。最初の申し出は、天野氏側に元定という後継者がいたため、毛利元就が断り、実現しませんでした。しかし、男子が生まれないままに、元定が亡くなったため、再度の要請により、元政の天野氏継承が実現したのです。

 

永禄十二年(一五六九)天野元定の遺言に従い、元政は天野氏入りしました。この養子縁組は、安芸国で最も有力な毛利氏、なかでも元就の子を養子に迎えることで、当主元定死去後の天野氏重臣の分裂を防ぐことが、目的だったようです。

 

元定の遺言は、娘に家督を継がせ、元就の子を婿に迎えるという内容でした。これは、天野氏の血筋を重視し、もしも離縁となったとき、天野氏の所領を奪われないようにするためでした。しかし、軍事指揮の点で男性が必要であったため、先の理由とも合わせて、元就の七男元政を婿に迎えることとしたのです。