山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第482回

2020.02.21

 写真は、毛利家伝来の「雛(ひな)道具」です。雛道具とは、雛人形に添えられた、雛人形の婚礼道具一式です。

 

江戸時代、大名家など上流階級が好んだ本格的な雛人形は、何段かの段飾りにされることが通例でした。現代の段飾りと同じく、最上段には「内裏雛(だいりびな)」とよばれる、夫婦になぞらえた男女一対の雛人形、下段には公家(くげ)や官女・楽人など、彼らに奉仕する人々、さらに下には、新婦が持参した婚礼道具の数々を飾るのです。

 

前近代における婚礼は、家と家との結びつきを強める、重要な行事でした。婚礼道具は、両家の結びつきを表すため、両家を象徴する家紋を描くことが通例でした。

 

この雛道具も、婚礼道具を模したものですから、黒漆の地に金箔で、繁栄を象徴する唐草(からくさ)文様と、毛利家の家紋である「沢瀉(おもだか)」を描いています。このように、家紋は、武家にとって家を象徴する大切なものでした。

 

毛利輝元は、将軍足利義昭の帰京に尽力した褒美として、桐紋の使用を許されています。この使用は、輝元一代限りではなく、輝元以後も使用が許されたようですが、「惣領一人」に遣わす、と記されていますので、かなり限定されたものだったようです。

 

これは、家紋が大切にされた一つの事例です。実のところ、家紋に関する通説には、いろいろなものがあります。ここで具体的にどれがどうとは挙げられませんが、こうした通説では、現在残されている美術工芸品や絵画作品における、家紋の使用方法が説明できないことがよくあります。残された資料を見る限り、家紋の使い方には、時代による差異や、目的による違いがあるらしく、それらの一つ一つを照らし合わせて、家紋に関する正確な理解にたどり着くためには、かなり努力が必要なようです。