山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第474回

2019.12.20

 写真は大庭学僊が描いた「獅子舞図」です。獅子頭を被って舞い踊るおなじみの獅子舞に、軽業芸を演じる人々を描いたこの絵は、最近でこそあまり見られなくなりましたが、日本の伝統的な正月風景のひとコマといってよいでしょう。

 

この獅子舞、正確には「伊勢太神楽(だいかぐら)」というそうです。「伊勢」という名称がつけられているのは、伊勢神宮の社人が、その教えを広めるために、こうした賑やかな大道芸をあわせて披露したからです。今も昔もそうですが、人を集めるためには、何か面白そうなアトラクションが必要だったのでしょう。

 

伊勢神宮や熊野大社など、現在もなお全国に信者を抱える大きな神社において、布教活動を支えていた人々を、一般には「御師(おし)」といいます。彼らは、信者を募るため、全国津々浦々をまわって、それぞれの神の教えを説き、守札などを配っていました。各地の信者と特定の契約を結ぶと、定期的にそれらの地を巡り、信者からの願いを神に伝える役割を果たしていたようです。また、これら信者が参詣を望んだ際には、宿泊などの世話もしていたようです。

 

戦国期の毛利氏領国においては、伊勢御師の村山大夫という人物が著名です。残された資料によると、彼は「中国八か国」などとよばれた、広大な領国をくまなく歩き、毛利一族やその子女だけでなく、領国内の主だった家臣たちに伊勢の教えを説き、喜捨を集めて回っていたことが知られています。

 

戦乱に明け暮れた戦国期、彼らが果たした役割は小さくはありませんでした。その役割は心の救済にかかわることだけではなく、情報の交換など現実的なことも多かったと思われますが、資料が断片的であるため、必ずしも明確にされているわけではないのです。