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第473回

2019.12.13

 写真は、毛利家の「正月飾り」です。毛利元就ゆかりとされるよろいかぶとや軍扇、長州(萩)藩の初代藩主毛利秀就が朝廷から拝領した太刀など、毛利家にとってめでたい、由緒ある品々を組み合わせた、正月にふさわしい飾りに見えます。

 

ただ、この飾り、実際にはいつ、どこで、どのように飾られていたのか、はっきりしません。長い歴史と伝統をもつ毛利家ですから、当然正月行事にも幾多の変遷があったはずですが、それらのどの部分に当てはまる飾りなのか、よくわかっていないのです。

 

毛利家の正月行事についての、最も古い記録は、戦国時代のものです。「正月御佳例」と注記されたこの書付は、記載の内容から見て、元就の孫輝元時代のものと思われます。それによると、元日から正月十三日までの行事が記されています。といっても、行事の内容はほとんどわからず、いつ誰が挨拶にやってくるという手順が記されているのです。

 

それによると、元日には吉田・多治比・中馬・山手・小山といった、郡山城周りの集落の人々や、中間衆・小者衆・馬屋方衆が挨拶にやってきたようです。同じく二日には親類衆、五日には外様衆と惣郷、毛利氏の本拠地である吉田荘全域の、一戸衆と呼ばれる小領主たち、六日には郡山城の麓周りの寺家衆、八日には惣郷の寺家衆、九日には元就の隠居領であった佐東衆の順だったようです。

 

この資料を見ると、正月行事、しかも最も重要な最初の八日間の参加者が、毛利氏の本拠地である吉田荘周辺の人々に限られていることがわかります。吉田荘は、南北朝時代以来、毛利氏が本拠として、営々として勢力を培ってきた地です。この正月行事からは、毛利氏と本拠吉田荘とのつながりの強さを読み取ることができます。と同時に、数か国の大大名となってもなお、吉田荘を基盤とせざるを得ない、限界をも示すものでした。