山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第469回

2019.11.15

 写真は、印章を納める印箱です。

 

全体は朱塗で、蓋の上部と、四つの側面には、沈金と呼ばれる、漆塗の表面を掻いて作った溝に、金箔をはめ込む技法で、雲間を飛ぶ龍を描いています。仕上げの具合や、その技術の高さなどから、明代前期の、宮廷に近い工房で作られたものだろうとされています。

 

室町幕府の三代将軍足利義満は、将軍職を退いた後、使いを明に遣わして服属の意を示し、明との国交を開こうとしました。この印箱には、義満の願いを聞き届けた明国皇帝が、義満を「日本国王」に封じるために与えた「日本国王之印」が納められていたといいます。

 

その後、日明貿易の実権を握った大内氏が入手し、大内氏の滅亡後、毛利氏が引き継いだのです。この継承の過程は、資料が乏しく、不明な点も多いのです。

 

この印箱や、大内氏が朝鮮との交渉に用いた「通信符」、大内義隆が用いた「大宰大貳」印、大内義長の私印などとともに、石見国(島根県)津和野の領主吉見正頼の覚書が残されていますので、毛利氏に先んじて山口を占領した吉見氏が、これらの印を押収し、毛利氏に引き渡したと考えられています。

 

だとすれば、大内義長は山口から下関に逃亡する際、なぜこの印を持ち出さなかったのでしょうか。さらにいえば、義長は、先代の大内義隆を討った陶晴賢によって擁立された当主ですが、晴賢に襲われた義隆もまた、なぜこの印を持って逃げなかったのでしょうか。

 

大内氏にとって、対明交易は、重要な経済基盤でした。義隆も義長も明に使節を派遣していますから、この印の重要性は十分に認識していたはずです。それがわかっていたからこそ、一国人にすぎない吉見正頼も、これを山口で押収し、毛利氏に引き渡したのでしょう。大切に引き継がれた印ですが、それだけに却って残された謎が深まるのです。