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野人岡野雅行の今現在年齢に妻嫁子供!高校時代にスピードとワールドカップも【W杯2022】

今回は元サッカー日本代表で現在はJ3のガイナーレ鳥取GMを務める岡野雅行氏について紹介いたします。岡野氏といえばジョホールバルの奇跡を思い出す方も多いですよね。

今回はそんな岡野氏について解説させていただきます!

目次

岡野雅行の今現在は?年齢も

岡野雅行氏は現在50歳であり鳥取県に拠点を置きJ3のプロサッカークラブガイナーレ鳥取のゼネラルマネージャー(GM)を務めています。

岡野氏のゼネラルマネージャーとしてのガイナーレ鳥取での仕事は主にスポンサーとなっていただく企業様とのやり取りや新規企業のスポンサー営業等が主だとメディア等で語っています。

ただし、ガイナーレ鳥取は地方クラブでありビッグクラブでは無いため社員やフロントスタッフが多いわけでは無いのでゼネラルマネージャーである岡野氏は『何でも屋』として主な仕事のスポンサー営業や接待以外の仕事も多く務めているとのことです。

ガイナーレ鳥取以外の仕事でもYouTube等のメディアに出てくることも珍しくなく岡野氏特有の切り口での喋りでサッカーを語ったり過去の破天荒なエピソードを語る等エンターテイナーとしての一面も持っています。

岡野雅行の妻と子供

岡野雅行氏は選手時代に妻の岡野裕子さんと結婚をしています。娘さんも1人セナさんという娘さんがおり娘さんを含めた3人家族だそうです。

そんな岡野雅行さんと妻の裕子さんで面白いエピソードが一つあります。それは岡野氏が、現役時代にヴィッセル神戸に所属している際の話です。

岡野氏は現役のプロサッカー選手でありながらよく夜の街に出掛けて酒を飲み歩いていたそうです。


その際にある知人の誕生日会に参加した際に岡野氏は余興の一環で『マジンガーZ』(マジンガーZのショーというものの詳細は不明ですw)そのショーを行った際にショーの終わり側の勢いでパンツ一丁でその店を退場して家に帰っていた帰り道で外国人と出会いました。

その当時岡野氏が住んでいた家の周りは外国人による日本人狩り(恐喝やスリ)などが多発していてそれが頭に入っていた岡野氏はその外国人を見た瞬間に噂の犯人かと追いかけまわしたそうです。(後にその方は噂の外国人とら違う方だったことが判明w)

その後、岡野氏は警察に事情聴取を受けるはめになりその際に裕子さんは警察の方に『こいつを捕まえてくれ』と警察の方に懇願したそうですw 岡野氏らしい面白いエピソードですよね笑

岡野雅行の高校時代

岡野雅行氏の高校は松江日本大学高等学校(現在の立正大学湘南高等学校)へ進学。立正大淞南高等学校と言えば現在は全国高校サッカー選手権に毎回出場してくる強豪校ですが岡野氏が入学した松江日本大学高等学校は岡野氏曰く『ヤンキー更生高校』だったそうです。

実は岡野氏は高校入学前にサッカー界のレジェンド、キングカズこと三浦知良選手に憧れ中学卒業後すぐにブラジルにサッカー留学することを親に懇願したのですがこれを拒否され親戚の勧めで松江日本大学高等学校に進学することになったそうです。



ただ入学すると肝心のサッカー部がなく岡野氏は入学直後絶望の気持ちになったそうです。ただ、ここで諦めない岡野氏自身でサッカー部を結成しヤンキーの先輩たちをサッカー部に入部することを説得。

色々苦難があったそうですが最終的には岡野氏がコーチ兼キャプテン兼中心選手としてチームで成長を遂げ島根県で3位に進むまでのチームに成長したそうです。

その中でも1年歳が上の先輩たちの最後の試合では岡野氏がPKを外しチームの敗退が決定し深く悲しみに陥ってた際に先輩たちが岡野氏が外して負けたのだからしょうがない。と言いながらこれまでの感謝を述べられたエピソードが忘れられないそうでサッカー部を作って良かったと思ったそうです。

岡野雅行のスピード

岡野雅行氏の選手時代のニックネームは『野人』というニックネームでした。そのニックネームの理由は圧倒的なスピードにあります。

岡野氏のスピードは日本サッカー史上1番と言っても過言では無いスピードでそのスピード活かした動き出しでパスをもらいゴールを決めたりドリブルで相手を切り裂くプレーが持ち味でした。

岡野氏の代名詞とも言われる試合である日本サッカー史上初めてのワールドカップ出場を決めた1997年フランスワールドカップアジア最終予選プレーオフ対イラン戦でもそのスピードが日本サッカーに歓喜をもたらします。

延長前半から試合に出場すると疲弊するイランDFが岡野氏のスピードに全く追いつけずイランDFを混乱に陥れます。イランDFが岡野氏のスピードや動き出しに苦戦する中、中田英寿選手のシュートのこぼれ球をスライディングでゴールに叩き込みこれが延長vゴール。

歓喜のフランスワールドカップ出場を『野人』こと岡野雅行氏が手繰り寄せました。

岡野雅行のワールドカップ

フランスワールドカップ出場を決めるゴールを決めた岡野氏でしたが、その後の本大会に臨むメンバー発表では日本サッカー界のレジェンド三浦知良選手が直前でメンバーから外れるという大波乱もありましたが岡野氏は無事メンバー入り。

本大会ではグループステージ第2戦のクロアチア戦に後半61分から出場しワールドカップデビューを果たしました。日本サッカー史上初のワールドカップとなったフランス大会の結果はグループステージ3連敗で予選敗退となりました。

ただ岡野氏曰く世界の強豪国と真剣勝負をワールドカップの地ですることができこの経験が今の日本サッカーに確実に生かされているという節を述べており決して日本サッカーにとって無駄なワールドカップの経験ではなかったと述べています。

岡野氏がフランスワールドカップで感じた日本サッカーと世界の大きな差はフィジカルの部分だったそうです。その中でも当時若手だった中田英寿氏は世界の選手たちにフィジカルで負けることなくプレーしており中田英寿氏の凄さを体感した大会でもあったと岡野氏は述べています。

まとめ

今回はジョホールバルの歓喜の立役者岡野雅行氏について解説させていただきました。

岡野氏は日本サッカーの歴史の1ページを作った方であり現在もガイナーレ鳥取でGMとして日本サッカーに貢献しようと現在も頑張っています。そんな岡野氏の活動にこれからも注目ですね。

本記事を読んでいただきありがとうございました。

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