山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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目で見る毛利家あれこれ

~毛利博物館収蔵資料と歴史ばなし~

第418回

2018.11.02目で見る毛利家あれこれ

写真は、毛利元就の肖像画です。テレビや教科書などでもおなじみの肖像画ですから、よく見ることがあるのではないでしょうか。   制作年代ははっきりしません。ただ、画像上部の賛は、天正…続きを読む

第417回

2018.10.26目で見る毛利家あれこれ

写真は、毛利元就所用の「色々威腹巻(いろいろおどしはらまき)」です。   腹巻はよろいの一種で、背中で引き合わせる形式のものをいい、鎌倉時代以来の大鎧(おおよろい)に対して、軽装…続きを読む

第416回

2018.10.19目で見る毛利家あれこれ

写真は、明治政府が、吉川経幹(つねまさ・駿河守)を城主格とした辞令の写です。城主格とは、文字どおり城持大名の意で、大名の格式の一つとして、国持に次ぐとされました。江戸時代、城郭を新たに作る…続きを読む

第415回

2018.10.12目で見る毛利家あれこれ

写真は、長州(萩・山口)藩最後の藩主毛利元徳の正室安子の肖像画です。実子に恵まれなかった長州藩主毛利敬親は、支藩主徳山毛利家より元徳を養子に迎えて、嗣子に据えました。同時に、同じく支藩主長…続きを読む

第414回

2018.10.05目で見る毛利家あれこれ

写真は、田能村直入が描いた「青緑山水図」です。青緑山水図とは、青々とした山川の風景を描く山水図のことで、豊後国(大分県)出身の南画の大家、田能村竹田の養子となり、幕末維新期に上方で活躍した…続きを読む

第413回

2018.09.28目で見る毛利家あれこれ

写真は、毛利元徳を山口藩知事に任命する辞令です。会津戦争の終結後、元徳の父敬親は、明治二年(一八六九)正月、長州(萩・山口)藩主として、薩摩・土佐・肥前三藩主と連名で、封土と人民を朝廷に返…続きを読む

第412回

2018.09.21目で見る毛利家あれこれ

写真は、明治元年(一八六八)十一月頃、長州(山口)藩の執政(しっせい)と参政(さんせい)が示した、藩政改革に関する告諭です。   執政と参政とは、これに先立つ十月二十八日に、統一…続きを読む

第411回

2018.09.14目で見る毛利家あれこれ

写真は、「中啓(ちゅうけい)」という、扇子の一種です。骨が途中で曲げられ、閉じても半開きの末広がりの状態となるため、「末広」とか「末広扇」とも呼ばれます。江戸時代の武家では、直垂(ひたたれ…続きを読む

第410回

2018.09.07目で見る毛利家あれこれ

写真は、最後の長州(山口・萩)藩主となった毛利元徳(もとのり)の肖像画です。   元徳は、支藩徳山藩の藩主毛利広鎮(ひろしげ)の実子でしたが、宗藩の藩主毛利敬親(たかちか)の養子…続きを読む

第409回

2018.08.31目で見る毛利家あれこれ

写真は、谷文二が描いた、毛利家の江戸藩邸「麻布邸」から眺めた江戸城下の遠望図です。「麻布邸」の奥深くから、東方面を眺めて描かれたもので、江戸城や汐留の海岸が詳細に描かれています。文二は、毛…続きを読む