山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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目で見る毛利家あれこれ

~毛利博物館収蔵資料と歴史ばなし~

第366回

2017.10.13目で見る毛利家あれこれ

写真は、長州(萩)藩主毛利敬親・定広(元徳)父子に対し、慶応三年(一八六七)十月十四日に、将軍徳川慶喜の追討を命じた、いわゆる「討幕の密勅」です。強大な権力を握った徳川家が、天皇の命令をも…続きを読む

第365回

2017.10.06目で見る毛利家あれこれ

写真は、長州(山口)藩最後の藩主毛利元徳(もとのり)が用いた陣笠(じんがさ)です。   陣笠とは、もともと兜の代用として、足軽など身分の低い兵士が用いていましたが、軽快さや簡便さ…続きを読む

第364回

2017.09.29目で見る毛利家あれこれ

 写真は、八月十八日の政変に敗れた三条実美ら、攘夷派の公卿たちが、長州(萩)藩へ落ちのびていく様子を描いた「七卿落図」です。七卿の一人沢宣嘉(さわのぶよし)の記憶により、明治時代になってか…続きを読む

第363回

2017.09.22目で見る毛利家あれこれ

写真は、長州(萩)藩の十三代藩主毛利敬親の肖像画です。写真でも参考にしたのでしょうか、顔の部分のみが妙にリアルな感じです。真正面を向くのは、神像などに多く用いられる方法ですが、これも、敬親…続きを読む

第362回

2017.09.15目で見る毛利家あれこれ

写真は、最後の長州(山口)藩主となった毛利元徳の妻安子の肖像画です。安子は、天保十四年(一八四三)支藩の長府毛利元運(もとゆき)の二女として江戸で生まれ、はじめは銀姫と名のっていました。母…続きを読む

第361回

2017.09.08目で見る毛利家あれこれ

写真は、長州(山口)藩最後の藩主となった、毛利元徳(もとのり)の肖像画です。元徳は、支藩の徳山藩主毛利広鎮(ひろしげ)の子でしたが、嗣子がいなかった長州藩主毛利敬親(たかちか)の養子となっ…続きを読む

第360回

2017.09.01目で見る毛利家あれこれ

写真は、羽様西崖が、江戸時代末期の萩の様子を描いた絵巻の一部です。萩城下の菊が浜における陸戦訓練の様子を描いた部分です。江戸時代の末期、長州(萩)藩では、西洋列強の進出に備え、藩主毛利斉元…続きを読む

第359回

2017.08.25目で見る毛利家あれこれ

 写真は、長州(萩)藩の十三代藩主毛利敬親の具足です。「素懸威(すがけおどし)」といい、鎧の部材をつなぐ糸が少なく、黒い漆が目立つこと、丈夫な紺糸を用いていることなど、質実で強剛な感じを強…続きを読む

第358回

2017.08.18目で見る毛利家あれこれ

写真は、長州(萩)藩の十三代藩主毛利敬親が、幕府から拝領した馬具です。鞍(くら)と鐙(あぶみ)からなりますが、鞍には、黒々と厚く漆を塗り、その上に、扇面を描き、様々な厚みの金銀で、龍や鯉な…続きを読む

第357回

2017.08.11目で見る毛利家あれこれ

写真は、長州(萩)藩の十二代藩主毛利斉広(なりとお)の肖像画です。凜々しい青年の姿で描かれていますが、天保七年(一八三六)、先代藩主毛利斉元の死により、藩主の座を継いだ斉広は、襲封から一か…続きを読む