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第460回

2019.09.13

 写真は、幕末の長州(萩)藩主毛利敬親・元徳父子と、イギリス東洋艦隊の司令官キング提督が並んで写った写真です。

 

慶応二年(一八六六)十二月、キングが三田尻(現防府市)に来航すると、藩主敬親・元徳父子は、彼と面談するため、山口の居館を出て、自ら三田尻に向かいました。三田尻の有力者貞永家にて、キング一行を迎えた敬親父子は、翌十二月三十日、英国側の返礼を受けるため、英国軍艦に乗り込みました。道迫伸吾氏によると、この写真は、そのときに艦隊に同行していた英国人が写したものだということです。

 

写真を見ると、中央のキング提督が悠然と構えているのに対して、向かって右側の毛利元徳の表情は、緊張でこわばっているのでしょうか、すこし変な表情にも見えます。

 

長州藩が過激な攘夷を唱え、関門海峡を通行する商船を砲撃したのは、この会見から遡ること三年前の文久三年(一八六三)のことでした。この時の攘夷実行は、諸外国との交戦を恐れ、攘夷の実行を押しとどめようとする幕府の意向を汲んだ諸藩が、攘夷実行を踏みとどまる中での、唯一の実行例でしたから、直ぐさま褒勅が下されるなど、孝明天皇の激賞を得たことはよく知られているところです。

 

結局のところ攘夷は失敗に終わり、度重なる幕府の圧力により、藩滅亡の危機に追い込まれた長州藩は、宿敵ともいえる薩摩藩との和解に踏み切り、攘夷も取り下げて英国との修好に舵を切ったのです。

 

この写真原板は、英国に持ち帰られ、長州藩の転向を全世界に知らせる一枚となりました。元徳の顔つきを見る限り、藩存続のためやむを得ないことではありましたが、こうした転向をどのように感じていたのか、内心は複雑だったのかも知れません。