山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第455回

2019.08.02

 写真は、「飾太刀(かざりたち)」の拵(こしらえ)です。飾太刀の名にふさわしく、鍔(つば)は奈良時代以来の唐太刀(からだち)の系譜をひく分銅形、総体に金銀や螺鈿・宝石をふんだんにあしらった豪華なものです。

 

この飾太刀拵は、所伝によれば、毛利氏の氏神宮崎八幡宮に奉納されたものだそうです。

 

毛利氏の氏神宮崎八幡宮は、東国から毛利氏が勧請し、毛利氏の居城郡山城(広島県安芸高田市)内に鎮座していたとされる氏神です。毛利氏の防長移封とともに遷座し、萩城内に祀られていました。

 

毛利氏の居城郡山は、その名のとおり高宮郡に関わりが深いと考えられていますが、それより以前、すでに山自体が信仰の対象にされていたといいます。毛利元就が宗家の家督を継ぐにあたり、吉日を選んだのは、山中の万願寺でした。万願寺は、郡山の山岳信仰の中心として、後から城を作った毛利氏によっても篤い崇敬が捧げられていたのです。

 

また山内には元就が葬られた墓所や、それらを供養する菩提所洞春寺も作られていました。郡山は、毛利氏にとって、軍事・政治の拠点であると同時に、毛利氏を精神的に支える重要な拠点でもあったのです。

 

防長移封後、萩の指月山を本拠に定めた毛利輝元は、宮崎八幡宮や万願寺、元就の菩提寺洞春寺など、郡山城内にあった主な宗教施設を、すべて指月山に移したようです。関ヶ原合戦の終了後、一大事であることを悟った輝元は、大坂から本国の万願寺に向けて、月次の祈祷を念入りに行うよう命じています。呪術的な力に頼るところの大きかった輝元の時代、毛利氏の代々が、郡山山中に頼ってきた信仰の力を、そのまま指月山に移すことで、その力を頼りに毛利氏の領国再建を果たそうと考えたのかもしれません。