山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第444回

2019.05.17

写真は、軍貝です。軍貝とは、南洋産の大型の巻き貝に金具を付けて吹き口とし、吹き鳴らすことができるようにしたものです。法螺(ほら)とも法螺貝ともよばれ、山伏の法具として用いられることはよく知られています。

 

この軍貝は、吹き口と覆輪の金具が銀でできるなど、大名家のものらしく豪華なつくりです。江戸時代のものと考えられていますが、詳しいことはわかっていません。

 

もともと仏教用の法具として用いられたようですが、携帯できる音響具として、武士たちも戦場で用いるようになったようです。

 

弘治三年(一五五七)に、大内義長を下関の且山城に追い詰めた毛利元就は、遠く防府の本陣から、福原貞俊ら現地に派遣した武将たちに、指示を出しています。且山城は、難攻不落の堅城だったらしく、元就は、その攻略に焦りさえ感じていたようです。

 

それは、義長の逃走が早かったため、山口と下関へと軍勢を分けざるをえなかったからでした。さらに、これまで攻略した地における、略奪などの狼藉が目に余るものであったため、地下人とよばれる、村々の勢力が、毛利軍に敵対心を持っていたからのようです。

 

元就が、家臣に与えた書状によると、地下人たちは、毛利軍の進路や、背後の兵站を運ぶ街道を見下ろす山々に籠もって姿を現さず、軍貝を吹き鳴らして、毛利軍に心理的な圧迫を加えつづけたようです。実際そうして、彼らは、攻城戦が長びくことで、毛利軍が隙をみせたり、弱体化した途端に、襲いかかるつもりだったのでしょう。そのため、本来であれば、元就自ら陣頭に立つべきだったのでしょうが、状況が許さなかったようです。

 

元就はこの戦のさなかに、軍勢狼藉の防止を傘下の軍勢と契約します。軍貝の発する神秘的な響きは、元就が軍勢狼藉への対策を本格的に考える契機になったのでした。