山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第441回

2019.04.19

 写真は「色々威小具足(いろいろおどしのこぐそく)」という、少年用のよろいかぶとです。紫・紅・萌葱三色の糸で、よろいの部材を綴っていることから「色々威」と呼びます。よく見ると、小札(こざね)と呼ばれるよろいの部材は、すべて金箔押の豪華な一品で、少年用といえども、決して大人用に見劣りするものではありません。

 

 この具足に関しては、記録がなく、伝来や所用者は、形状から判断せざるを得ません。様式からは、江戸時代初期の、藩主子弟のものだろうと推測されています。また、記録がないので、どのような機会に作られ、使用されたのかも判然としません。

 

 様式から見るかぎり、江戸時代初めのものですから、実戦で使用されたとは考えられず、着用されたとしても、せいぜい端午や初陣など、儀式に参列するためだったと思われます。そもそも戦士であった武士にとって、戦場に参加して活躍することは、実績を残して、周囲に存在を認めさせるために必要なことでした。そのため、初めて戦場に立つ初陣は、元服や婚礼とならぶ、大切な通過儀礼として重視されていました。

 

 毛利元就の初陣は、永正十四年(一五一七)十月、毛利氏の本拠地郡山城からさほど遠くない山県郡有田(現広島県北広島町)に攻め寄せた武田元繁を討ち取った戦いだとされています。この時の合戦は、確かな史料があまりなく、正確なことがわかりません。ただ、毛利家譜代の家臣に対しては、元就の甥で、まだ三歳にすぎなかった当主幸松丸(こうまつまる)の名前で感状が出されていますから、元就の果たした役割は、軍記物に見られるような、毛利氏を代表する立場ではなかったようです。

 

 その後、幸松丸の急死により、家督を継いだ元就が、名実ともに毛利氏の主であると、内外から認知されたのは、家内外の敵との血みどろの戦いを制した後だったようです。