山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第439回

2019.04.05

 写真は、毛利氏庭園の桜です。芝生をはった広場一面に、樹齢百年を超えるソメイヨシノが並び、毎年四月上旬の見頃には多くの人を愉しませています。

 

 毛利氏庭園は、かつての公爵毛利家防府本邸(多々良邸)を継承した庭園です。現在は面積約二万坪、江戸時代の大名庭園の系譜を引く、近代庭園の傑作として知られています。

 

 公爵毛利家が、多々良邸の建設に踏み切ったのは大正元年(一九一二)のことでした。その後約五年の歳月を費やした、大正五年(一九一六)に完成します。残された棟札(むなふだ)によると、前年の明治四十四年(一九一一)に、明治天皇の行幸を迎えたことがきっかけだったようです。

 

 明治二十三年(一八九〇)に定めた家憲により、山口県下を本貫地とすることに決めた毛利家は、早々に現在の防府市多々良の地に、新たな本邸を建設することを定めます。福田東亜氏によると、これは、毛利家がそれまで防府での滞在地としていた三田尻邸(現英雲荘)が、公爵家の本邸としては手狭であったこと、もともと海に突き出した砂丘上に作られた邸宅であったため、湿気が多く、体の弱かった次期当主元昭(もとあきら)の健康上好ましくないとされたためだそうです。

 

 決定後早々に土地の購入や造成は進められたようですが、棟札によると、その後発生した日清・日露の両戦争により、本格的な建築には至りませんでした。そのため、明治天皇の行幸は、仮設の建物で迎えざるを得ませんでした。各地の旧大名家が、明治天皇の行幸を機に本邸を一新したり、新たに洋館を建てて天皇を迎えたことはよく知られています。そうした中で、明治維新を支えたと自負する毛利家としては、忸怩たる思いだったのでしょう、行幸後ほどなく、ついに新本邸の建設に踏み切ったのです。