山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第438回

2019.03.29

 写真は鉄の茶釜です。鶴首に尾垂の釜で、胴に毛利家の家紋「一に三つ星」が浮き出され、周囲に雷文が彫り表されているのが特徴です。箱書によれば、古芦屋だそうです。

 

 玄界灘に注ぐ遠賀川の河口に開けた芦屋は、中世の史料に「芦屋津」と記される要港とされ、そこに住み着いた鋳物師集団が活躍していたようです。彼らが、中世以前に製作した作品を「古芦屋」と呼ぶそうですが、この茶釜もそうした一つとされています。

 

 毛利家の家紋が作り込まれていますので、毛利家の注文製作と考えざるをえません。中世の芦屋津を支配していた国人領主麻生氏は、早くから大内氏に従っていたといいます。麻生氏に従属していた芦屋鋳物師の作った作品は、大内氏の手によって京都への贈答物とされ、この時期の京都では釜の名品といえば芦屋物と考えられていたそうです。

 

 芦屋津は、玄界灘に面した要港でしたから、対外貿易に熱心で、北部九州の覇権を狙っていた大内氏にとっても重要な港だったと思われます。毛利氏も、早くから大内氏に従っていますから、いつごろ毛利氏が、この釜を注文したかははっきりしません。

 

 大内氏を滅ぼした後、中国地方における大内氏の権益や勢力圏は、その多くを毛利氏が引き継ぎます。関門海峡を隔てた九州に広がる大内氏の勢力圏は、敵対する戦国大名大友氏との間で角逐することになりますが、遠賀川河口部を領有する麻生氏や、この地域の宗教的権威であった宗像大社の大宮司家宗像氏は、北部九州の覇権を目指して北上する大友氏への対抗上、毛利氏の支援を受けることが多かったようです。最終的には、天下一統を標榜する豊臣秀吉の命を受けた毛利氏が、秀吉軍の先遣としてこの地域を制圧することで、北部九州の乱世を収束させるように、芦屋と毛利氏との関係は深いものでした。

 

 この釜は、そうした北部九州の乱世を見届けた歴史の証人なのかもしれません。