山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第435回

2019.03.08

 写真は、幕末の長州(萩)藩主毛利敬親の正室都美姫(とみひめ)所用の「有職雛」です。現在人形が納められている箱と、内裏雛の下に敷く上げ畳裏の商標から、この有職雛は、幕末当時、上野池之端にあった七沢屋であつらえられた雛人形だと分かります。

 

 七沢屋は、大奥や諸大名家、裕福な商人などの奥向きによって贔屓にされたといい、彼らの好む豪華な雛でよく知られていたようです。

 

 参勤交代は、大名自身を隔年で領国と江戸を往復させるとともに、正室と嫡男を常に江戸に留め置く制度でした。将来的に他大名家の養子となる可能性がある男子や、大名家の正室となる女子は、早くから江戸での交際に慣れさせるためか、やはり江戸で暮らしたようですから、江戸時代の後半、大名家の係累の多くは江戸住まいであったといえます。

 

 こうした子女の需要を満たしたのですから、江戸末期における七沢屋の隆盛ぶりは相当なものであったと思われます。

 

 加えて、江戸時代後半になると、隠居した前藩主が江戸にとどまる事例が多くなります。毛利家の場合は、家督を譲ってもなお葛飾に御殿を建て、隠居した十代藩主斉煕の例がよく知られていますが、他藩でも同様の事例が多く見られるようになるようです。

 

 斉煕の場合、実権を握ったままの隠居したため、その生活はかなり豪奢で、田中誠二氏の研究によると、藩財政に与えた影響は大きく、婚姻など江戸での交際費を含めた、彼らの江戸滞在費を賄うため、国元の実情を無視した政策が執られることも多かったようです。

 

 こうした実態は、必ずしも藩首脳部にとって好ましい事態とはいえなかったはずですが、江戸時代後期、なぜ大名たちが隠居するのか、江戸にとどまりながら、現役を退いてもなお実権を握り続けることができたのか、必ずしもよく分かってはいないようです。