山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第433回

2019.02.22

写真は、お雛さまの婚礼道具として作られた「雛道具」です。これは、大名など江戸時代の上流階級の、実際の婚礼道具を模して作られたものです。小さな備品まで数え上げると、四百をこえる、今残されている雛道具のうちでも、最も豪華なものの一つです。

 

この雛道具は、幕末の長州(萩)藩主毛利敬親の正室都美姫(とみひめ)所用の有職雛(ゆうそくびな)に添えられたもので、当時、大奥でももてはやされていた七沢屋(ななさわや)の雛道具だったようです。

 

都美姫は、敬親の先代藩主毛利斉広(なりとお)の娘でしたから、毛利家の姫として、大切に育てられたのでしょう。しかし『もりのしげり』によると、敬親が既に養子とされていたため、都美姫は一門の娘として、敬親に嫁いだことにされています。斉広の死が余りに急であったため、帰国の際に仮養子とされた敬親を、そのまま幕府に養子として届けざるをえなかったのでしょう。その上で、斉広の血統を重視する人々に配慮して、義理とはいえ兄妹の関係となった敬親に、都美姫が嫁ぐことにされたのでしょう。

 

敬親と都美姫の婚姻に関しては、斉広の死により、やや成り行き任せの感が否めませんが、本来、大名にとっての婚姻は、家と家との結びつきを強くする重要な政治案件でしたから、慎重に考えるべきことでした。

 

敬親の養女であった喜久姫は、文久二年(一八六二)に土佐藩主山内豊範に嫁いでいます。当時の資料をみると、長州藩は、南海を航行する外国船の情報を、土佐藩大坂屋敷から得ていたようです。太平洋に面して長大な海岸線をもつ土佐藩の、外国船情報は、瀬戸内や関門海峡で外国船と対峙しなくてはならない長州藩にとって、貴重だったのでしょう。攘夷をめざす長州藩にとって、土佐藩との連携は重要な政治課題だったと思われます。