山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第420回

2018.11.16

mr毛利家181116毛利元就外十一名連署契状 写真は、毛利元就ら安芸国(広島県)の有力な領主である、十二人の「国衆」が軍勢狼藉の防止と発見したときの処罰法、無断での陣払、すなわち戦陣からの撤退を禁じた契約書です。

 

軍勢狼藉とは、武将が許可していない戦場で行われる放火や略奪など、不法行為のことです。この契状が作られた弘治三年(一五五七)ごろ、戦場に多量の糧秣を運ぶ、兵站という思想は、まだ一般的ではありませんでした。長期の戦陣になるにしたがい、兵糧や陣夫などが乏しくなると、戦闘地域や行軍先で、思い思いの略奪・暴行に走ることが一般的でした。

 

大内氏の打倒後、地下人(じげにん)と呼ばれる、防長両国住民の激しい抵抗に直面した毛利元就・隆元父子は、抵抗の要因となる狼藉防止の必要に迫られていました。そこで、元就以下の安芸国衆十二名は、元就の指導により、定められた戦場以外での略奪行為を防止すること、これに違反した時には発見次第成敗することを、対等な立場で定めたのがこの契状なのです。

 

通常こうした規制は、戦場や通路になる恐れのある町や村・寺社などが、一定の見返りを条件に、個別に進駐してくる軍勢に発行を求めるものでした。これを「禁制(きんぜい)」といいます。これは通常の禁制とは違い、適用の範囲が明確でなく、当時は石見国(島根県)の戦場にいて、防長に出兵していなかった吉川元春・熊谷信直・出羽元祐も、花押こそ据えていませんが、必要な武将として名前が記されています。

 

期限・適用範囲を明確にしていないこと、不在の武将にもその契約を認めさせようとしていることからは、元就が、この契約を時限的な、地域限定のものではなく、恒久的、かつ将来的には全領国に拡大しようと意図していたのではないかと思われます。元春らが、花押を記していないなど、この意図はどこまで実現したか不明です。しかし元就が、安芸の一国人領主から、個別領主の枠を越え、広域的な支配を行う戦国大名への転身を図ったことがよくわかります。