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第417回

2018.10.26

mr毛利家181026色々威腹巻写真は、毛利元就所用の「色々威腹巻(いろいろおどしはらまき)」です。

 

腹巻はよろいの一種で、背中で引き合わせる形式のものをいい、鎌倉時代以来の大鎧(おおよろい)に対して、軽装とされ、比較的身分の低い武士たちの防具とされました。軽快なことから、室町時代には、この写真のように、兜(かぶと)や大袖(おおそで)を備えて、大名など上級の武士も着用するようになったとされます。

 

ドラマや漫画などでも、元就は、この腹巻を元に再現された甲冑を身にまとい、戦場を駆け巡っています。ところで、元就は、はたして本当にこの腹巻を身につけたのでしょうか。

 

この腹巻は、兜の正面に据えられた鍬形(くわがた)といい、袖の飾り金具の精巧さといい、大大名の着料と考えてまちがいありません。現在残されている、大内義興の肖像画などとくらべてみても、その重厚さ、壮麗さは遜色ないと感じられます。製作年代の曖昧な、しかも肖像画の甲冑と、実物とを単純に比較することはできませんが、元就のこの腹巻は、大内氏当主並み、あるいはそれ以上の格式を備えているといっても、問題ないように思われます。

 

元就は、大永三年(一五二三)、二十七歳で毛利家の家督を継ぎますが、その後も長らく、安芸国の一国人領主として、大内氏など大名権力の下で活動していました。天文二年(一五三三)には、大内氏の吹挙によって、朝廷から従五位下右馬頭の官職を与えられましたが、それは国人領主としてはそれなりの地位ですが、大名と呼ぶには程遠いものでした。

 

元就が大名と呼ばれるにふさわしい地位を手に入れるのは、永禄三年(一五六〇)です。この年元就は、将軍足利義輝から「錦直垂」を免許され、「相伴衆」に任じられました。すでに元就六十四歳、その後の戦いでは、この腹巻を着たでしょうが、老境の大大名に成長した元就が、自ら刀や鎗を振るわねばならない場面に出会うことは、おそらくなかったでしょう。