山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

お問い合わせはこちら

第414回

2018.10.05

毛利家181005青緑山水図写真は、田能村直入が描いた「青緑山水図」です。青緑山水図とは、青々とした山川の風景を描く山水図のことで、豊後国(大分県)出身の南画の大家、田能村竹田の養子となり、幕末維新期に上方で活躍した直入ならではの作です。

 

絵の上部に記された賛によると、明治三年(一八七〇)に「南陽園」において「三位毛利公」の高覧を仰いだとされます。南陽園とは、萩にあった藩主毛利家の別邸、南苑御殿を指すと思われ、三位毛利公とは、従三位参議であった毛利元徳のことですから、この絵は萩の藩主別邸で、当時は山口藩知事であった毛利元徳に見せられたようです。

 

箱書によるとこの絵は、明治五年(一八七二)に、大坂(大阪)の豪商加島屋の当主広岡久右衛門が献上したもののようですから、加島屋の依頼により、直入が描いたもののようです。

 

豪商加島屋は、それまで多額の資銀を、長州(萩・山口)藩に貸し付けていました。田中誠二氏の研究によると、幕府との対決により、大坂商人から借りた借銀は、一時返済が凍結されたようですが、戦争の終結とともに、債務返済や藩公金貸付などの交渉がはじまり、この間の返済について、藩側は最終的に凍結・繰り延べしようとしたことが明らかにされています。

 

こうした多額の藩債や、戦費調達のため過剰に発行された藩札は、長州藩のみの事情ではなく、どの藩も抱えていた問題でした。版籍奉還から廃藩置県を経て、割拠的な藩体制を解体し、中央集権的な国家体制を構築するにあたり、この問題は大きな桎梏と考えられました。新政府は、当初藩の債務・藩札を、藩自身に処理させる方向でしたが、あまりの額の多さに、藩ではなく新政府が処理を引き継ぐことにしたようです。ただそれに際しては、銀相場の大幅な下落や、幕府の棄捐策などを利用し、大幅に債務を圧縮したことが明らかにされています。