山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

お問い合わせはこちら

第412回

2018.09.21

mr毛利家180921藩政改革告諭写真は、明治元年(一八六八)十一月頃、長州(山口)藩の執政(しっせい)と参政(さんせい)が示した、藩政改革に関する告諭です。

 

執政と参政とは、これに先立つ十月二十八日に、統一的な地方行政組織を作り上げることを目的に、明治政府が布達した藩治職制(はんちしょくせい)によって定められた、藩主を補佐する役職のことで、かつての家老職に相当します。

 

ここで両職はまず、大政の一新に合わせて、人心を一新し、役職に清廉に務めなくてはならないことを示します。そして、旧弊を一新することなど、新時代に向けた諸役人のあるべき姿を示した上で、今後目指すべき藩政の要目として、大政一新にふさわしく、万国に対峙するための、富国強兵策を実現しなくてはならないと主張しています。

 

このうち、富国策に関しては、この藩がこれまで「農政」と「金穀取締方」、すなわち民政と財政・経済政策については、特に長じてきたこと、その藩が、西洋列強のごとく、「商」すなわち交易を盛んにすることで、並み居る諸藩に先んじることができるに違いないとします。

 

田中誠二氏によると、この部分は、民衆生活の如何を棚上げにすれば、度重なる検地を繰り返して最強の税制を作り上げるとともに、藩札の発行などにおいて、他藩にぬきんでて秀でた経済財政政策を実践していた、この藩ならではの自己認識だといいます。

 

こうした自己認識は、江戸時代を通じて、常に自藩の政策を他藩と比較し続けたことで生み出されたと思われます。結果として、幕末維新の動乱を、幕府の命を受けた全国諸藩の攻撃撃退、さらには倒幕という結果で勝ち抜くことによって、より確固なものとされたのでしょう。

 

維新を成就したこの藩の自尊心がうかがえる一文ですが、維新後もなお、藩の首脳陣が、藩の長所を称え、他藩への対抗意識を富国策の起点に据えていることには、留意が必要です。