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第403回

2018.07.13

mr毛利家180713網代陣笠2018戊辰写真は、毛利元徳所用の陣笠です。陣笠とはもともと、足軽など軽輩が兜の代わりに用いた防具ですが、戦のなくなった江戸時代には、大名など上級の武士にも用いられたといいます。

 

この陣笠も、長州(萩)藩最後の藩主であった元徳の持ち物にふさわしく、木製の材料を網状に編んだ笠の表裏に金箔を貼った豪華なものです。耐久性よりも軽快さを重視していることから、狩りや巡視など、馬上で用いるために作られたものなのでしょうか。

 

毛利元徳は、毛利家の支藩である徳山藩主毛利広鎮(ひろしげ)の子でしたが、宗家の当主敬親の養子とされ、同じく支藩長府藩から養女とされた安子(銀姫)を妻に迎えて、最後の長州藩主となる人物です。

 

最悪の財政問題を抱えて家を継ぎ、幕末の動乱を乗り切り、明治維新を成し遂げた養父毛利敬親に比べて、元徳は、やや地味な印象を受けます。しかし、次期藩主である世子として認められると元徳は、養父敬親の不在時には、敬親に代わって朝廷や幕府との交渉にあたっていました。田中誠二氏によると、参勤交代の緩和により、江戸の藩邸を縮小するにあたり、穴蔵銀と呼ばれる貯蓄の開封、使用を許可したのは、元徳だったそうです。

 

また、禁門の変にあたり、元徳は、敬親に代わって全軍を指揮するため、京都に向けて瀬戸内海を進んでいました。このときは、あっけない敗戦により、中途で引き返しますが、王政復古後に、長州藩・毛利家が入京を許可されると、元徳は、敬親に先んじて上京し、敬親が上京してくるまでの数か月間、敬親に代わって朝廷や諸大名との折衝にあたりました。

 

維新後華々しく顕彰された敬親の陰で、やや控えめな評価の元徳です。そのせいか、戊辰戦争や、その後の版籍奉還・廃藩置県において、元徳がどのような役割を果たしたかについては、詳らかではありません。近代への移行期に元徳は、何をなしたのでしょうか。