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第396回

2018.05.25

mr毛利家180525軍幟2018端午写真は、毛利元就が用いたとされる「軍旗」です。元は縦に長い流旗だったようですが、下部がちぎれています。また、上部に紺の革紐がつけられていますから、棹にくくりつけて用いたのでしょう。素材は綸子(りんず)ですが、亀甲紋が地文様として織り表されています。

 

この亀甲紋は厳島神社の神紋であり、この裂が厳島神社の神衣であることを示しています。この旗をかざすことにより、元就は、兵士たちに、厳島神社の加護があると示したのでしょう。

 

旗には墨で、毛利家の家紋である「一に三つ星」、八幡大菩薩など軍神の名が記されています。三つ星自体も、中国の占星術では「将軍星」とよばれる戦いの神を意味するそうですから、あるいは、家紋自体も戦いの神を記したつもりなのかもしれません。

 

そうするとこの旗は、厳島神社の霊験あらたかな裂の上に、この世に存在するありとあらゆる軍神の名を記し、その神々の加護も期待した、何とも力強い旗だということができます。

 

この墨書は、誰が記したのかは不明ですが、恐らくはそうした神々の力を、旗の中に込めることができるような力を持った人物が記したのでしょう。

 

戦国時代の戦争が、元就らの合理的な戦略がその勝敗を決めたのは、いうまでもありませんが、降雪や風雨など、予測しがたい事態が戦局を左右することも多く、迷信を信じる家臣も多いことから、占いや神頼みなど、呪術的なものに頼る側面を多く持ち合わせていました。

 

毛利家の場合、元就を、当主として本拠郡山城に迎える吉日は、満願寺が占っています。また、元就の孫輝元は、関ヶ原合戦の終結直後の戦後処理にあたり、満願寺に対して「中国も家も一身も此時に一大事相極候」と、日待・月待の祈禱を念入りに行うよう命じています。

 

この満願寺は、郡山築城以前から、郡山にあった密教寺院です。加持祈祷など、呪術的なものが大きな意味を持ったこの時代、満願寺の果たした役割は大きなものだったようです。