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第384回

2018.02.23

Print写真は、毛利家の雛道具です。いずれも数センチ程度のとても小さなものです。

 

蒔絵で描かれた菊菱の文様が、金具の文様と一致しているので、この雛道具は、幕末の長州(萩)藩主毛利敬親の夫人都美姫(とみひめ)のためにあつらえられた、「有職雛(ゆうそくびな)」用の雛道具だと考えられています。

 

都美姫は、天保四年(一八三三)、十二代藩主毛利斉広(なりとお)の長女として江戸桜田の上屋敷で生まれました。都美姫の遺品には、斉広の正室和姫のものとされる「かもじ」と「水引」が残され、それらは他の都美姫の遺品とあわせて、徳川家の家紋である「丸に三葉葵」が描かれた衣装箱に収められています。和姫は、将軍徳川家斉の娘でしたから、おそらく都美姫の衣装箱は、斉広の正室和姫から都美姫が受け継いだものだと思われます。

 

和姫は、天保元年(一八三〇)、嫁いだ翌年に病で亡くなっています。都美姫は斉広の側室が産んだ子でしたから、和姫と都美姫との間には一面識もありませんでしたが、天保七年(一八三六)に若くして急死した斉広にとっては、たった一人の娘でしたから、都美姫こそが、和姫の正統な後継者として、和姫の遺品を引き継いだのでしょう。

 

都美姫の「有職雛」は、残されている納箱や敷畳に貼り付けられた札から、七沢屋(ななさわや)の作だとわかります。七沢屋は江戸末期に上野池之端に店を構え、その豪勢で華美な雛人形が、貴顕にもてはやされていたといいます。この雛道具も大小さまざま、細かな部品まであわせると四〇〇個にもおよぶ豪華なものです。

 

この豪華な雛道具は、毛利家の格式上昇を望む人々によって、「将軍の孫娘」にふさわしい質と量で作られた、この時代ならではの逸品なのです。