山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第383回

2018.02.16

毛利家180216黒塗唐草文沢瀉紋散蒔絵貝桶写真は、お雛さまの婚礼道具として作られた「雛道具」のうち、「貝桶」です。これは、公的行事で家臣たちの前に披露する「表道具」として作られたものらしく、家の繁栄を願う「唐草」の地文様に、毛利家の家紋である「沢瀉(おもだか)」が、金の蒔絵で描かれています。

 

貝桶とは、貝合わせの貝を納める桶です。貝合わせは、蛤の内側に、物語や和歌にちなんだ絵を極彩色で描き、対になる貝を選び取る遊戯ですが、別々の貝は一致することがありませんから、江戸時代には、貝桶が、夫婦和合の象徴として、最も重要な婚礼道具とされていました。

 

鎌倉時代の宝治元年(一二四七)、幕府内部において、執権北条時頼と、有力御家人三浦泰村が激突する宝治合戦が生じました。このとき毛利家の初代季光(すえみつ)は、政治的な協力者であり、娘婿でもあった時頼に味方しようとしていましたが、三浦泰村の妹であった妻の懇願により、三浦方に味方し、戦闘に参加した子どもたちとともに戦死を遂げています。

 

『吾妻鏡』によると、三浦方に向かう季光を、時頼方にとどまった兄の長井時広は「武家のならい」として、引き留めず、戦場で会った場合には潔く戦うことを宣言したといいます。

 

季光は、兄の時広と異なり、政治的な提携よりも、妻を通じた三浦氏との盟約を選びました。中世初頭に、貴族や武士の間で「家」が成立して以降、「家」を維持・拡大・繁栄させることは、前近代社会において、最も重要なこととされていました。特に戦士である武士の場合は、戦場での勝ち負けが、家の浮沈を決める重大事でしたから、戦場を共にする同盟者は慎重に選び、その関係を強固なものとするため、娘を嫁がせて親類としての固い絆を作り上げました。

 

武士にとって、婚姻を通じた同盟関係は、時に政治的な帰属や主従関係、戦の帰趨といった合理的な判断にもまして重視しなくてはならない場合がありました。婚礼道具における「貝桶」は、婚礼を通じた家と家との結びつきを、何より重視する武家の考えを象徴する品なのです。