山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第377回

2018.01.05

毛利家180105日の丸軍扇写真は、毛利元就が用いたとされ、毛利家の「正月飾り」に欠かせない「日の丸軍扇」です。実のところ、元就のものである確証はなく、元就ゆかりとされる「御佳例吉甲冑」に付属していることが唯一の根拠のようです。

 

表は、金地に朱の日の丸、裏は金地に雲の枠を描き、その中に銀の三日月を描いています。これは、軍師の軍扇とされ、裏表を翻すことで、悪日を吉日に変えるのだそうです。

 

この軍扇が、軍師のものか否かは別として、表の日の丸は、確かに縁起のよい意匠です。太陽は、この世を照らし、作物の実りをもたらすことから、各地で神聖視されていることはいうまでもありません。特に、アジアの東端にあたる日本は、昔から「日出ずる国」と自称したように、太陽が昇る縁起のよい地との認識があったようです。現在の私たちもなお、新年に、初日の出をわざわざ拝むという具合に、日本人にとって、日の丸は、特に縁起がよいと認識されていたようですから、この軍扇も「正月飾り」にふさわしいとされたのでしょう。

 

この軍扇が、元就のものか否かは別として、元就もまた日輪を信仰していたようです。隆元・元春・隆景の三子に与えた「三子教訓状」の中で、元就は、若い頃、朝日を拝んで念仏を十篇唱えることで、死後のことはいうまでもなく、現実の願いも叶うと伝授されたこと、毛利家の伝えにある、太陽に現実の願いを祈ると叶うという信仰を、元就が実践してきたこと、三人の子にも、日でも月でも構わないので、毎朝この行を続けるように願っています。

 

この勧めを、長男の隆元は、ありがたくぜひ実践する、と回答しています。それは、おそらく元就が、この信仰を、真剣に実践していたことを、隆元がよく知っていたからなのでしょう。合理的な戦略をもって、一代で大領国を作り上げた毛利元就ですが、彼もまた、迷信や信仰を大切にし、それらによって生活の大半が左右される中世社会に生きた武将だったのです。