山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第376回

2017.12.22

mt毛利家171222梨地初音高蒔絵硯箱写真は、硯や筆などの筆記用具を納める「硯箱(すずりばこ)」です。蓋には、全体に厚く金箔を盛り上げる高蒔絵の技法で、物語の一場面が描かれています。

 

素材の端を髭のように伸ばしたことから、「髭籠(ひげこ)」とよばれる、贈答用の竹籠が軒先に見えること、同じく回廊には鶯の置物が置かれていることから、この場面は、「源氏物語」の「初音(はつね)」の段であるとわかるのです。

 

この「初音」という物語は、光源氏の屋敷で養育されている明石の君の許に、新春の祝いの品を届けた生みの母親明石の方が品物に添えた和歌を見た源氏が、娘に会うこともままならない明石の方の身の上を不憫に思うというもので、江戸時代には、教養としての源氏物語をここから学び始めるという、当時の知識人にとって必須の場面だったそうです。

 

源氏物語といえば、あたかも貴族のものと思われがちですが、室町時代に将軍が貴族化し、武家と公家との交流が進むにつれて、武家にも必要な教養として浸透していったようです。

 

毛利氏の領国においても、毛利元就は、率先して古典の教養を身につけようとしたらしく、大内氏の旧臣で、和歌や古典に通じていた大庭賢兼を直臣として重用しました。また、天正四年(一五七六)、毛利氏の本拠吉田に下った前関白九条稙通が、清神社の拝殿で源氏の講釈を行った時には、吉田の人々がわれもと集まったといいますので、源氏物語は、この時期すでに、元就ら上流武家のみならず、広い層に教養としての広がりを見せていたことがわかります。

 

江戸時代に入り、武家と公家が、婚姻や文芸などを通じ、ますます結びつきを深めると、文化的な一体化が進みました。また、書物が印刷によって大量に流布するようになると、源氏物語は、公家や武家という支配者にとどまらず、町人や農民にとっても、ある一定の地位に達した者にとっては、必ず身につけておくべき教養の筆頭とされるようになったようです。