山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第375回

2017.12.15

Print写真は、毛利家の「正月飾り」に用いられる「御佳例吉甲胄」です。毛利家を一代で中国地方の大大名に育て上げた毛利元就ゆかりの甲胄とされる、目出度いいわれのある甲胄です。

 

ところが、よく見るとこの甲胄、どこかちぐはぐです。それもそのはず、赤地に金箔で瓢箪唐草を描いた胴だけは、少年用の「童(わらべ)具足」だからです。また兜には、飾りとして「赤熊(しゃぐま)」と呼ばれる赤い毛が載せられていますが、そもそもこの兜は「頭巾形(ずきんなり)」という、頭に頭巾を載せた形を表しているので、その上に、さらに赤熊を載せることは、本来あり得ないのです。

 

こうした変わり兜が流行し始めるのは、桃山時代のことでした。また、この胴のように、全体を漆と金箔で飾り立てて惣蒔絵(そうまきえ)にするのも、桃山時代の流行ですから、この甲胄は、どうも元就の活動年代と、制作の年代が一致しないのです。

 

しかも、江戸時代の「道具帳」を見る限りでは、「御佳例吉」として記されているのは、兜と胴が揃った甲胄ではなく、「兜」だけが記されています。つまり、胴や籠手(こて)などは、当初から存在していたわけでなく、いつの時代からか、付け加えられ、元就のもの、すなわち毛利家にとって、栄光の由緒と、良い縁起を伝えるものだ、という伝承が生まれたようです。

 

現代の私たちからすると、かなりいい加減な鑑定だ、と切り捨ててしまうことは簡単です。しかし、こうした遺品が、なぜ元就のものとされ、どのような時に、どう使われたのか、その使用は周りにどういう影響を与えたのか、という点には十分に注意を払わなくてはなりません。

 

贋物・本物の議論そのものは、本質的なことではなく、江戸時代の人たちにとって、なぜそうした伝承を創出する必要があったのか、それは社会を維持する上でどういう効果をもたらしたのか、という点から光をあてることで、こうした作品にも歴史的な価値が見いだせるのです。