山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

お問い合わせはこちら

第371回

2017.11.17

毛利家171117木印_日本国王之印写真は、「日本国王之印」と彫り記された木印です。側面に「日本国王臣源」と記されていますが、その墨書のとおり、もとは日本国王を称した足利将軍家のものであったとされます。

 

応永の乱で大内義弘を打倒したことにより、瀬戸内海の制海権、ならびに関門海峡の通行権を確保した足利義満は、建国間もない明国に使節を派遣し、明国が定める世界秩序に組み込まれることで、日本国王に任じられました。その時明国から下されたのが、「日本国王之印」でした。もとは金印であったとされますが、いつしか原印は失われ、桜の木で再造されたのが、この木印であるといいます。

 

室町時代も下り、幕府が全国を統制する力を失うと、明国との交渉は、貿易利潤の獲得のみが目的とされるようになり、やがては西国一の守護である大内氏が、一手に遣明船派遣の権利を握るようになりました。この木印も大内氏の手に渡ったらしく、大陸の文化に並々ならぬ興味を抱いた大内義隆は、二度も遣明船を派遣しています。義隆の死後、この木印は大友氏から養子に入った義長の手に渡り、義長もまた、実兄の大友義鎮とともに、明に使節を派遣しようとしたことが知られていますが、この派遣はなぜか失敗に終わったようです。

 

この木印の重要性は、一国人にすぎなかった毛利元就も知っていたのでしょう、大内義長の滅亡後、元就はこの木印を入手しました。そのため、日本に一つしかないこの木印が、失われることなく、現在まで伝えられてきたのです。

 

さて、古来よく知られたこの木印ですが、分からないことがたくさんあります。たとえば、いつ、どこで作られたのか。桜材が用いられていますが、桜は中国では版木などに用いられるそうです。彫りの深さや、出来栄えからみても、大陸の職人の手と思われますが、中国で作られたのか、それとも国内のどこかなのか、大きな謎の一つです。