山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第358回

2017.08.18

st毛利家170818梨地雲龍蒔絵鞍鐙写真は、長州(萩)藩の十三代藩主毛利敬親が、幕府から拝領した馬具です。鞍(くら)と鐙(あぶみ)からなりますが、鞍には、黒々と厚く漆を塗り、その上に、扇面を描き、様々な厚みの金銀で、龍や鯉など縁起が良いとされる絵柄を描いたものです。儀礼用のものと思われますが、これを馬の背にのせた姿は、いやが上にも持ち主の威儀を高めたことでしょう。

 

『もりのしげり』によると、これは藩政「良好」を賞して、幕府が敬親に与えたものだそうです。何が「良好」で幕府の褒賞を得たのか、定かでありませんが、田中誠二氏によると、これを拝領した弘化三年(一八四六)段階は、敬親襲封以来の改革が一定の成果を挙げ、「八万貫目余之大敵」とまで呼ばれた借財は、六万貫目台にまで圧縮され、家臣への給与切り下げである「馳走」も、家臣知行の半分が召し上げられる、高百石につき二十石の負担から、十三石の負担へと軽減が進み、財政上は藩も家臣も一息ついた状態だったようです。

 

とはいえ、相変わらず財政が危機的な状況であることに変わりはなく、迫り来る西洋諸国への対応として、家臣団に対する軍事的な負担の強化は待ったなしでした。

 

藩首脳部の危惧は、ペリー率いる黒船の来航により、現実のものとなります。黒船来航以来、度重なる家臣団への負担に対し、敬親は、毛利家が平城天皇の血を引くことから、朝廷に忠誠を尽くすことは必然と主張し、家臣団に対しては、元就以来主従の絆を固め、関ヶ原の敗戦でも毛利家を見捨てることのなかった家臣の子孫であることを強調し、毛利家への忠節を選んだ祖先と同様、毛利家に対し忠節を尽くしてほしいと、訴えています。

 

敬親が朝廷への忠節心や、祖先毛利元就への崇敬の念を抱いていたことはまちがいありません。ただそれは、時の政治情勢や社会・経済の下で、特定の政策を実現するために発露される場合、必ずしも単純に美談で片付けるわけにはいかない部分があることも否めないようです。