山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第352回

2017.07.07

f-毛利家170707_山水長巻写_2017萩藩写真は、江戸時代中期の絵師狩野古信(かのうひさのぶ)が模写した「山水長巻」です。「山水長巻」といえば、雪舟の作品のうちでも、最高の傑作とみなす人も多く、よく知られています。これは、享保十年(一七二五)に、幕府から、諸大名所蔵の古画収集を命じられた古信が、長州(萩)藩に命じて、江戸において模写したものです。

 

そのことは、奥書に古信自身が記していますが、吉積久年氏によると、当初長州藩は、この絵を古信に差し出すつもりはなかったようです。しかし、古信側のたっての希望もあり、「御家の重宝」として、厳重な管理の下に、模写を認めたということです。

 

この事例に限らず、軍役や普請役、街道を上下する国賓や幕府役人への対応など、大名にとって、幕府の意向をどう受け入れるかは、慎重な判断を要する事案ばかりでした。

 

しかし、幕府の政策が藩に及ぼす影響は、それだけではありませんでした。田中誠二氏によると、五代藩主毛利吉元は、享保三年(一七一八)、参勤交代に参加する藩士に費用を給付するため「旅役出米」を制度化します。それは馳走米拠出による収入の減少や、物価高騰による支出の増大に苦しむ藩士の負担をならし、彼らの不満を和らげるためであったといいます。

 

物価高は、幕府が、財政補填のため、金銀貨に含まれる金銀を減らした新通貨を発行したことによる、貨幣価値の下落を大きな要因としていました。その後、一時的に幕府は金銀貨の質を旧来に戻しますが、幕府の企図どおりに物価が下がることはなかったようです。一方、当時長州藩が、年貢として藩財政の基盤に据えていた米と、藩の専売品として同じく藩財政の支えと考えていた紙の価格は、比較的低く推移したため、却って藩財政は打撃を蒙ったといいます。

 

吉元の時代は、倹約と家臣団給与の削減、単純な増税による藩財政再建に限界を認めるとともに、市場の変動に敏感に対応した、新たな経済・財政政策が必要とされた時代だったのです。