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第346回

2017.05.26

mt毛利家0526毛利元就自筆書状写真は、毛利元就が長男の隆元に与えた自筆の書状です。

 

いわゆる「三子教訓状」と同時に書かれたとされ、五か国の太守にのし上がった毛利氏を良かれと思う者は、本国安芸(広島県)にもいないこと、毛利家中内においてさえ、人により、事により、それほど主君毛利家を良く思わない者ばかりだと、元就ならではの冷徹な現状判断を示した上で、三兄弟が継いだ毛利・吉川・小早川三家が結束することにより、この困難な現状を乗り切ることができると、隆元に対して、密かに諭した、有名な書状です。

 

そしてまた、こんなことは本来であれば、今は亡き妻妙玖が諭すことなのだがと、愚痴めいた一節を記していることでも有名な書状です。

 

この時期の女性は、実家と婚家をつなぐ架け橋のような存在でした。これより後のことですが、石見国(島根県)の吉見正頼が、宿敵益田氏の処遇をめぐって、毛利氏に対して著しく不信を抱く事件が発生しました。この疑惑は、表の公的なルートでは解決できなかったらしく、元就は、正頼の嫡男広頼に嫁いだ隆元の娘「津和野局」と、彼女の生母である隆元の妻「尾崎局」に、この件の仲裁を依頼しています。これも長文のものですが、その中で元就は、陶晴賢の挙兵以来同盟を組んできた吉見氏に対して、毛利家が別心を抱くはずがないと、繰り返し信頼の回復に努めるだけでなく、その気持ちに嘘偽りはないと、神名を挙げて誓っています。

 

女性ならではのルートを通じた、吉見正頼と広頼親子の説得は成功したらしく、このときの吉見氏の反目は、離反という決定的な事態には至りませんでした。この交渉で元就は、吉見氏の宿敵である益田氏も敵に回したくありませんでした。そのため、公的なルートでは、思い切った発言ができなかったのでしょう。子どもらに対する母の説得は、やっかいな交渉相手にも、思い切った本音を伝える、まさにとっておきの切り札だったのです。