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第342回

2017.04.28

st毛利家170428胴丸具足写真は、「縹糸胸紅白威胴丸具足(はなだいとむねくれないしろおどしどうまるぐそく)」という甲胄です。「毛利家文書」によると、大内氏の重臣内藤興盛が、毛利隆元に贈ったものだそうです。隆元は、興盛の娘を、主君大内義隆の養女として妻に迎えていました。この甲胄も、船岡山合戦以来、半世紀近く戦場で用いてきた縁起の良い物だとして、隆元に贈ったようです。

 

こうした甲胄は、場合によっては、宝物として、家督を継ぐ人物に相続させても良さそうなものです。それを隆元に贈ったのですから、興盛は、娘婿の隆元に、期待していたのでしょう。

 

厳島合戦の後、興盛の嫡孫内藤隆世は、大内氏の当主義長を奉じて、最後まで毛利氏と敵対しました。それ以前に、隆世と興盛は対立していたらしく、隆元は、興盛に従っていたと思しき妻尾崎局(おざきのつぼね)の弟、隆春を救い出し、周防国の玖珂郡内で相当の領地を与えて、身の立つようにしてやりたい、と父の元就に意見しています。元就もまた、この提案に合意したため、隆春は、このときの動乱を切り抜け、毛利家の親族として、後々まで毛利家と運命をともにし、毛利氏の領国支配に協力するのです。

 

このときの事を、後年隆春は、内藤家が存続できたのは、尾崎局の計らいであったと記しています。おそらく弟の身を案じた尾崎局が、夫である隆元に、その救済を依頼し、隆元もまた義理の弟を助けなくては、と奔走したのでしょう。

 

もちろん、毛利家としては、単なる義理で隆春を助けたわけではありません。内藤氏は、代々周防国の熊毛郡辺りに勢力を持つ、有力な領主でした。厳島合戦の勝利後、素早く国境を越えて、大内氏から玖珂郡を奪取した毛利氏としては、来たるべき大内氏との決戦で、玖珂郡に隣接する熊毛郡一帯を押さえるのに役立つと考えたのでしょう。

 

興盛の見立て、隆元の決断は、毛利・内藤両家にとって、重要な結果をもたらしたのでした。