山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第339回

2017.04.07

mt毛利家0407梨地鶴亀松桜蒔絵双六盤写真は、毛利家伝来の双六(すごろく)盤です。側面に金銀の蒔絵で松と桜、松の枝先には鶴、根元には亀が描かれた、めでたい意匠のものです。同じ文様の碁盤・将棋盤が残されていますので、おそらくは婚礼道具の一組として作られたものだろうと思われます。

 

囲碁と将棋は、江戸時代は幕府や諸藩にも保護され、庶民の間にも流行したためか、現在もなお愛好する人が多い盤上遊戯です。その一方、現在の私たちが、一般に双六と認識している「絵双六」とは異なり、この双六盤を用いる「盤双六」は、遊び方そのものさえ忘れ去られるほどに廃れています。

 

双六は、盤上で二つのさいころを振り、出た数字によって様々に駒を動かす遊戯です。もともと大陸発祥でしたが、持統天皇が禁令を出したという記事もあることから、七世紀には貴族の間に広まっていたと考えられています。さいころの偶然性が、賭博として好まれたらしく、早々に禁止の対象とされたようです。しかし、古代・中世の人々は、それでも双六をやめることはなく、『平家物語』には、十一世紀に院政を主導した白河法皇が、自らの意のままにならないものとして、賀茂川の水・比叡山の山法師とならんで、双六のさいを挙げていることはよく知られています。

 

中世の公家の日記を読むと、当時の公家たちは、双六だけでなく、囲碁など、ほぼすべての遊びに賭け物を持ち寄り、賭けの対象としていたことがわかります。また武家でも、「黒田節」の伝承で知られるように、鎗などを賭けて飲み比べることがあったようですから、当時の人々にとって、遊戯や遊興と賭博は、なかなか切り離せなかったようです。

 

毛利家には、毛利元就・隆元・輝元ゆかりの書状が多く残されていますが、賭博に関する記載はありません。そのため、彼らが賭博をどう考えていたかは、はっきりしないのです。