山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第337回

2017.03.24

mt毛利家0324梨地松桜蒔絵碁盤写真は、毛利家伝来の碁盤です。碁笥と盤の側面には、金と銀で鶴亀や松と桜が描かれた、とてもめでたい意匠の碁盤です。同じ文様の双六(すごろく)盤・将棋盤が揃って残されていますので、これは、もとは三つで一組、婚礼道具の一つだったのだろうと思われます。

 

碁盤と将棋盤・双六盤は、江戸時代には三面と呼ばれ、必ず婚礼道具に含まれていました。古来中国では、「四芸」あるいは「琴棋書画」などと呼ばれて、音楽・書・画とならんで、碁や将棋・双六といった盤上遊戯が、士大夫の修めるべき教養とされていました。中国にならった国作りを進めた奈良時代に、律令をはじめとする政治制度とともに、中国の文化として日本にも伝来したらしく、現在正倉院には、聖武天皇が用いたという碁盤も残されています。

 

毛利家伝来の写真の碁盤は、使用した痕跡が見られませんから、記念の品として大切にされたのでしょう。この碁盤に限らず、公家の婚礼を参考に成立した大名家の婚礼道具は、国宝に指定されている尾張徳川家伝来の「初音の調度」に代表されるとおり、大変豪華なものでした。

 

江戸時代も後期に下るにつれ、婚礼も次第に派手になるとされます。たしかに、十八世紀に入ると、どの大名家でも官職の上昇志向がはっきりします。また、婚礼の相手も大名同士にとどまらず、毛利家も例外ではありませんが、一部の名門大名は宮家や公家から妻を迎えたり、娘を輿入れさせることで、貴種としてのステータスも手に入れようとしたようです。

 

しかしその一方で、佐賀の鍋島家には、明らかに別の婚礼道具を転用したとみられる、上から家紋を塗りつぶしたものが残されています。毛利家でも、十代藩主斉煕の娘万寿姫(ますひめ)の婚礼に際しては、対馬の宗氏に嫁ぐ姫のため、蔵にあった古い婚礼道具を仕立て直して送り出したと記録されています。豪華な婚礼道具は、大名家ならではの派手な社交を象徴する品ですが、背後の財政問題を考えるならば、複雑な思いにとらわれざるを得ません。