山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

お問い合わせはこちら

第333回

2017.02.24

ys毛利家170224雛道具 写真は、毛利家伝来の雛道具です。実際の婚礼道具を精巧に模したもので、すべての道具に漆が黒々と塗られ、子孫繁栄を意味する唐草文様と、毛利家の家紋である「沢瀉(おもだか)」が金箔で蒔絵されています。

 

「沢瀉」は、現在でも毛利家の家紋として用いられ、現在では「裏紋」とか、女性が用いる家紋だとかされているようです。江戸時代の藩主である毛利重就の裃(かみしも)や、毛利敬親の羽織には、「沢瀉」が記されていますので、江戸時代には、男性もこの「沢瀉」を用いていたことはまちがいありません。

 

江戸後期に藩から幕府へ提出された書類の控えによると、毛利家の家紋としては、拝領紋の「桐」、「一文字三つ星(一に三つ星)」、「沢瀉」が提出されています。桐紋は、桃山時代に足利義昭から与えられた拝領紋なので別格として、「一に三つ星」と「沢瀉」は、特に差を設けて記されているようには見えません。この控えには、同時に「旗之紋」「幕之紋」も記されていますが、こちらには「一に三つ星」が用いられたようです。

 

もともと武家の家紋は、戦場で敵味方を識別するためのものですから、わかりやすいものや、縁起を担いだものが多く用いられたようです。「一に三つ星」は、中国占星術の、将軍星とよばれるオリオン座の三つの星をかたどったものとされますから、わかりやすく、しかも戦場で士気を高める家紋として適していたように思われます。

 

江戸時代になると、戦争に関わる旗や幕をはじめ武具を除く、特に什器や調度などには、ほとんど「沢瀉」が用いられるようになります。また、江戸時代の大名・旗本のガイドブックである『武鑑』にも、毛利家の箇所にはこの「沢瀉」が記されていますので、江戸の庶民にとっては、むしろ毛利家の家紋としては、「沢瀉」の方がなじみ深かったようなのです。