山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第331回

2017.02.10

毛利家170210唐物笹耳茶入yo写真は、茶道で抹茶の粉を入れる「茶入(ちゃいれ)」です。「耳」と呼ばれる飾りが笹の葉をよじったようになっていることから「唐物笹耳茶入」と呼ばれています。「唐物」とは、中国からの輸入品という意味ですが、この茶入は中国の元~明代にかけて焼かれたものと推測されています。いつ頃毛利家が入手したのか、どういう径路で入手したのかはわかっていません。

 

室町期に山口を支配していた大内氏は、幕府に替わって、積極的に朝鮮王朝や明と貿易していた大名として知られています。一方、大内氏の領国を引き継いだ毛利氏は、貿易に関わる資料が乏しかったことから、あまり海外との貿易に熱心でない大名とされてきました。しかし、近年の研究では、毛利氏の時代には、石見銀山の採掘が本格化したこと、明の海禁政策の綻びをついた中国海商が、赤間関(下関)にもやって来たことから、日本国内でも海外の品を入手することができるようになり、わざわざ莫大な費用と危険を冒してまで、海外に進出する必要を感じなくなっていた、と考えた方がよさそうです。

 

毛利元就が活躍した十六世紀は、幕府の弱体化に代表されるように、権力が各大名や各領主に分散した時代でした。大小様々な権力を持った武士が、「自力」で、家を維持しようとしたため、分裂・戦争が絶え間なく続く時代でした。近隣の権力との抗争を勝ち抜き、家を保つためなら、何でも厭わなかった大名・領主ですが、地道に殖産政策を行い、領国の生産力上昇を待つ余裕はありませんでした。教典・絹織物などの威信財や、煙硝などの戦略物資、さらには銭という生活必需品まで、手っ取り早く海外から入手する道を選ぶのは、当時の先進国であった、中国や朝鮮に近い西国の領主にとって、当たり前の選択肢にすぎなかったのです。

 

派手な対外交渉を、単純に「国際化」とみなす見解を見かけます。ただ、そうした皮相な見解では、続く江戸時代に「鎖国」がなぜ成功するのか、説明できないように思われます。