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第328回

2017.01.20

nt毛利家170120_四季耕作図写真は、江戸時代後期の南画家である谷文晁(ぶんちょう)が描いた「四季耕作図」です。

 

六曲一双、すなわち六つ折りの屏風が左右一対で一組になる屏風絵です。右の方から、春夏秋冬と描かれ、写真の部分は、秋の収穫を終え、新年を言祝ぐ猿回しの芸を愉しむ様子です。

 

この屏風絵が、毛利家の有に帰した理由は定かではありません。作者の谷文晁は、徳川御三卿のひとつ、田安家の家臣の家に生まれ、絵師として田安宗武の子、松平定信に重用された人物だそうです。長州(萩)藩の八代藩主毛利治親の妻節姫(ときひめ)は、田安宗武の娘でしたから、この辺りのつてを頼って入手したものと思われます。

 

登場人物が中国風の衣裳を身にまとっているのは、この絵が、中国の儒教に基づき、よい政治としての「仁政」が行われた結果として描かれているからです。治政の学問としての儒教が普及するにつれ、政治を行う者への誡めとして、こうした耕作図は数多く製作されました。

 

戦乱に明け暮れていた戦国時代、一代で中国地方を制覇した毛利元就は、まさに希代の英雄でした。子孫や家臣に対して、何かと書状をしたため、細かな戦略などを指示していますが、民に関わることは殆ど記していません。岸田裕之氏によると、元就は、いち早く狼藉の防止や陣夫役の制限など、民衆の暮らしに対しても一定の目配りはしていたようですが、他の大名との抗争に打ち勝ち、毛利家を守るためには、いきおい民の生活は後回しにせざるを得なかったようで、医師の曲直瀬道三は、こうした毛利家の姿勢を厳しく批判しています。

 

この絵が描かれた十八世紀後半は、幕府や藩をはじめ、どの武士も窮乏し、財政改革の一策として、さまざまな収奪の強化策を企図したことはよく知られているところです。そうした政治体制下において、この「仁政」観が、どこまで実効性を有していたかは定かではありませんが、戦国時代に比べれば、はるかに配慮されるようになったことはまちがいありません。