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第321回

2016.11.25

st%e6%af%9b%e5%88%a9%e5%ae%b6161125_%e5%8f%b2%e8%a8%98 写真は、「史記 呂后本紀」です。奥書によると、延久五年(一〇七三)に大江家国が書写・点合し、さらに康和三年(一一〇一)に秘本により照合、建久七年(一一九六)に大江時通が読了したことが分かります。本書は、中国南北朝時代に作られた史記の注釈書『史記集解』を底本とし、それに朱の乎古止点(をことてん)・点訓、注の加筆や朱の校合がなされています。これらの点から、年代の分かる漢文訓読書としては、由来が確かで、かつ最古の書として、国宝に指定されています。

 

大江家国という人物は、紀伝道の博士家として、朝廷での学問教授を家職としていた大江朝綱(あさつな)の玄孫とされています。毛利家とのつながりは、残念ながら定かではありませんが、毛利氏の祖大江氏の伝本として、何らかの契機で入手し、現在に至るものと思われます。

 

毛利元就は、大江氏ゆかりの秘本として、張良の兵書を用いていたようです。元就の周囲では周知のことだったのでしょう、元就が、長男隆元・次男元春・三男隆景に対して、兄弟の結束はこの張良の軍書にも勝ると、教え諭していたことはよく知られているところです。

 

実際の宮廷社会では、中堅以下の地位にとどまった大江氏ですが、中世の武家社会においては、鎌倉幕府の創業を助けた功臣大江広元を出した家として、また、張良の軍書をはじめとする、高度な軍事的な知識を有する貴族として、特別な存在とみられていたようです。元就は、平賀広相や阿曽沼広秀など、同盟を結んだ国人領主に対して、大江広元の「広」を名乗りに使わせていますから、大江氏に対する周囲の羨望を、自らの地位を高めるため用いたのだろうと思われます。

 

江戸時代、多くの大名が源平藤橘の子孫と称するなかで、大江氏を祖とする毛利氏は、明らかに少数派でしたが、毛利氏にとって、祖先大江氏は、とりわけ大切な存在だったようです。