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第319回

2016.11.11

nt毛利家1107唐織 写真は、毛利輝元が、豊臣秀吉から与えられたという能装束です。唐織(からおり)といい、主に女性の役を演じる時に用いられる衣裳です。

 

唐織とは、元は織物の名称だそうです。名前こそ「唐織」ですが、室町時代の末期以降に織られるようになった、日本の織物なのだそうです。刺繍のような風合いや、豊かな意匠が特徴とされる日本独特の織物とされています。

 

この唐織も、身頃ごとに文様を反転させた片身替(かたみがわり)の意匠に、稲妻のようなジグザクの山道文様、互(ぐ)の目とよばれる、互い違いに配置された桐と菊の文様を、すべて織りだけで表した、大胆かつ豪華な、いかにも秀吉が好みそうな、桃山時代を代表する逸品として、重要文化財に指定されています。

 

意匠に用いられている菊と桐の文様は、紋章というわけではありませんが、いずれも、朝廷や皇室をイメージさせる文様です。一般的には、足利義昭の後継者となることができなかった秀吉は、関白として公家社会の頂点に立ち、公武二権力を統合する形で、日本の第一人者「天下人」として君臨したとされます。

 

確かに秀吉は、天皇の権威や朝廷の機構を、諸大名の統制に利用していました。たとえば、毛利輝元など有力大名は、いずれも朝廷の高官に任命され、豊臣政権内での序列が一目で分かるようにされました。こうした秀吉の政策の下で、四国・九州の平定などに力を尽くした毛利輝元は、叔父の小早川隆景とともに、権中納言という、かつての毛利氏では考えられなかったような高官に任命されます。またこのとき、毛利氏の一門や有力家臣もまた、四位や五位などの位階・官職を与えられていました。これは、大名毛利氏内部での序列を明確にする効果を持ち、毛利氏による家臣団支配もそれ以前にくらべ、格段に進歩したとされているのです。