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第314回

2016.10.07

%e6%af%9b%e5%88%a9%e5%ae%b6161007%e7%a5%96%e9%9c%8a%e7%a4%be%e7%a5%9e%e6%ae%bfyo写真は、旧毛利家本邸が完成した直後に作られた記念の「写真帖」の一こまで、祖霊社の社殿の写真です。いわゆる流造(ながれづくり)の、典型的な神社建築に見えます。この社殿には、その名のとおり、毛利家の祖霊が祀られていました。

 

ただこの社殿、現在はありません。社殿に接続していた拝殿・神饌所(しんせんしょ)などは、多少手が加えられつつも、よく残っているのですが、社殿そのものは現存しないのです。

 

こうしたことは、創建当初の姿をよく留めているとはいえ、完成から百年を経た旧毛利家本邸にはよくあることですが、祖先祭祀という、旧大名家・華族家にとって、何よりも重視すべきことがらに関わる建物には、珍しいことだといわざるを得ません。

 

そう考えてよく調べたところ、昭和十四年(一九三九)の初めに、祖霊社、ならびに稲荷社・八幡社など、毛利家の信仰に関わる施設を、この防府多々良邸から、東京高輪邸に遷座させていることがわかりました。関係する資料によると、遷座に伴い、祖霊社の神殿や、稲荷社・八幡社の社殿は撤去され、祖霊社の拝殿は「遙拝所」として改築されたようです。

 

なぜ、こうした信仰施設が移転したのか、明確な理由は明らかにできません。ただ、前年の昭和十三年(一九三八)に、長らく防府に暮らし、この旧毛利家本邸を完成させた、当主で公爵の毛利元昭(もとあきら)が亡くなっています。毛利家の家督と、公爵の地位を継承した長男の元道は、軍籍にあり、東京を活動の拠点としていたようです。こうした当主の交代により、防府での祖先祭祀が困難になったことが、遷座のきっかけだったことは間違いないようです。

 

公爵毛利家は、この山口県を常住の地と定めましたが、山口県の本邸と、東京高輪邸の役割、機能の違いなどは、まだはっきりとわかっていません。祖先祭祀をはじめ、重要なことに関しては、残された資料から、年代を追って整理していく必要があるようです。