山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第312回

2016.09.23

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この平面図を見ると、子ども部屋が、現在は毛利博物館の第一展示室に改装されていること、その背後の築山が崩され、毛利博物館の第二展示室が増築されている以外は、ほとんどの建物に手が加えられず、現存していることがわかります。

 

またこの平面図からは、大広間や毛利家当主の居間など居住空間や、それらを支える炊事場など、裏方の活動空間が、渡り廊下によってつなげられ、複雑な構成を成していたことがわかります。この渡り廊下でつながれた建物を、当時は「本館」と称していたようですが、この建物を設計した技師の原竹三郎が残した「防府邸新築竣成報告書」によると、本館の総面積は、二階部分をあわせると四百六十坪ほどになるようです。

 

四百六十坪と、数字を出してもぴんときませんが、邸内を実際にご覧いただければ、この本館がいかに巨大な建造物であるかは一目瞭然です。しかし、驚くことに、これでも当初の計画にくらべれば、かなり縮小された結果だという研究成果があるのです。

 

現在毛利博物館には、現状とは明らかに異なる平面図が残されています。これらの製作年代は、まだ特定できませんが、この邸宅を詳細に研究している福田東亜氏によると、それらはいずれも明治時代のものと推測されるようです。また福田氏によると、それらの平面図からは、かつて二百坪程度の洋館を併設する計画があったことや、和館も、千三百坪に及ぶ広大な計画が立案されたこともわかるようです。ただ、こうした広大な建築が、なぜ縮小されて現在の規模に落ち着いたのか、費用以外の要因については、まだはっきりとした見解はないようです。