山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第296回

2016.06.03

03810008(屈輪香合・2016茶道具・ほっぷ296)

写真は「屈輪香合(ぐりこうごう)」といいます。香合は、茶の湯などで用いる練香(ねりこう)を入れる容器です。屈輪とは、厚く塗り重ねた漆を削り出して、渦巻のような幾何学文様を描き出す彫漆技法で作られた漆器のことです。

 
写真も、厚く塗り重ねられた色の異なる漆が、研ぎ出されることによって、異なる色目の層をなしたように見える、とても美しい作品です。本作品は、明代の中国で作られ、その後、何らかの方法によって日本にもたらされたと考えられています。

 
時代としては、活発な対明交易を行っていた大内氏や、大内氏を継いだ戦国大名毛利氏の活動時期に相当します。ただ本作品に関しては、細かな年代観や、来歴を知ることができませんので、いつ毛利家のものとなったのか、果たして元就が用いたものかは、定かでありません。

 

大陸、特に中国からもたらされた文物は、「唐物(からもの)」と呼ばれ、公家だけでなく、将軍や大名をも含めた貴顕にもてはやされました。大内氏が積極的に対明・対朝鮮交渉をめざし、時にはライバルとなる細川氏や少弐氏とも熾烈な抗争を繰り広げた要因の一つは、こうした唐物を、独占的に入手するためでした。大内氏を継承した毛利氏もまた、元就の嫡男隆元の時代に、自ら朝鮮に使節を派遣しようと試みました。しかし須田牧子氏によると、毛利氏の目論見は、条件が整わず挫折したそうです。その後、隆元の子輝元のころになると、赤間関など毛利領内にも外国船が立ち寄るようになり、必要な物資は、使節を派遣せずとも、国内において、明や南蛮の海商から入手できるようになったようです。

 

元就の時代、唐物のような高級品は、交易による入手が当たり前でした。それは、激しい戦乱の下で、何よりも敵に勝つことが優先されたからです。技術導入や人材育成により、時間をかけて、これら高級品を自国内で生産する発想は、まだどの大名にもありませんでした。