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第288回

2016.04.08

st毛利家160408_雛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、幕末の長州(萩)藩主毛利敬親の正室都美姫(とみひめ)の雛道具です。雛道具は、お雛さまの婚礼道具として、雛祭りでは雛壇にともに飾り付けられたようです。この雛道具は、持ち主が、先代藩主毛利斉広(なりとお)の実子であった都美姫であることを示すため、すべての道具に、毛利家の家紋「沢瀉(おもだか)」が、金の蒔絵で描かれています。
このような、家紋が描かれた雛道具は、実際の婚礼道具を模した雛形として、嫁入り時に持ち込まれたといいます。婚礼直後の節句からは、御殿内の広間に飾られ、家臣に披露され、家臣たちとともに姫の多幸を祝ったとされます。実物をみると分かりますが、この雛道具は、確かにいずれも大きく、いわゆる「表道具」としての役割を担っていたのでしょう。

 

これは雛道具ですが、これが実物の婚礼道具の雛形だとすれば、実物の婚礼道具はさぞ豪華で、大がかりなものだっただろうと思われます。江戸時代の後期、敬親が藩主に就任したころには、各種の儀式や、それに伴う御殿や調度などの新造、幕府や関係諸役人などに対する礼金など、さまざまな費用がかさみ、婚礼に伴う出費は莫大なものとなっていたようです。
大名家の婚礼は、当時「国家」と呼ばれた藩の、威信と存亡に関わる重大な外交案件として、重視されていました。そのため、婚礼の出費は、「国家」の経営に必要な経費として、大がかりになってもやむを得ないものと、一面ではされていたようです。

 

田中誠二氏によると、長州藩の財政官僚たちは、江戸時代後期における藩財政窮乏の要因を、藩主や藩主係累たちに関わる諸費用の増大と考えていたようです。敬親が家督を継承した天保期、彼らは藩主敬親の支持を得て、藩財政再建のため、婚礼や社交を含めた、藩主家の関係費用削減のため、大なたを振るうこととなります。しかし、これらの費用を、「国家」存続のための重要な経費と考える人々からは、根強い抵抗を受けることとなったようです。