山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

お問い合わせはこちら

第286回

2016.03.24

st毛利家160325毛利安子洋装姿

写真は、明治時代に公爵となった毛利元徳の夫人安子(銀姫)の肖像写真です。公爵夫人の最高礼服である、大礼服(たいれいふく)を着た、大変珍しい写真です。大礼服は、マント・ド・クールと呼ばれるフランスの宮廷服を模したもので、短い袖に、トレーンと呼ばれる長い引き裾が特徴とされ、年賀の参内など、ごく限られた時に用いられる衣裳だそうです。

 
公爵夫人としての安子は、欧米の貴族夫人に倣って、さまざまな社会活動に身を投じたことで知られています。その一つに福田会の活動があります。
宇都榮子氏によると、福田会は、廃仏毀釈によって打撃を受けた仏教諸派が、その頽勢を立て直すため、明治九年(一八七六)、仏教の慈悲の精神に基づいて、貧困家庭などの児童を救済するために立ち上げられた結社だそうです。基本的には、寄付等で運営を賄う形態をとったため、その経営と、育児方針の安定のため、積極的に「上流婦人」の参加が呼びかけられたとされ、毛利安子もこうした呼びかけに応じたようです。

 
明治二十二年(一八八九)、福田会の組織改編に伴い、婦人部の活動拠点として恵愛部が設立されます。この設立に尽力した人物の中に、旧長州(萩)藩士であり、明治新政府にも参加した男爵楫取素彦の夫人美和子、子爵三浦梧楼の夫人愛子がいたことは注目されます。女性の参加に不満を持つ人々もいたようですが、彼女らの工作により反対の声も抑えられ、やがて慈善活動に熱心な安子たちによって、恵愛部設立の発起がなされ、毛利安子は恵愛部長、楫取美和子と三浦愛子は、役員である幹事に選出されたようです。

 

毛利安子と、かつての家臣であった楫取素彦夫人の美和子との交流については、ドラマでも描かれていましたが、彼女らの交流が、実際にはどのようなものであったのか、そしてそれが社会的にはどのような意義を有したかについては、まだ何も分かっていないようです。