山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第285回

2016.03.18

毛利家160318中礼服写真は、明治時代に公爵夫人となった毛利安子のドレスです。大きく開いた胸元が特徴の、いわゆるイブニングドレスと呼ばれるスタイルのものです。公爵の服制からすると、中礼服に相当するようです。

 

文化学園大学博物館学研究室の植木淑子氏によると、当時のヨーロッパの最新の流行を取り入れたものだそうです。同時に、注目すべきは、地文様には、日本の伝統的な文様である卍崩し文様とも呼ばれる紗綾形を用いていること、さらに刺繍で、規則的に日本人の好む桜を描くなど、日本の伝統を十分にふまえたものであることだそうです。
明治天皇の皇后は、積極的に洋装を導入したことで知られています。同時に皇后は、政府の殖産興業政策に協力するため、国産織物の利用を呼びかけたといいます。このドレスは、安子が、こうした呼びかけに、積極的に応じたことを示すといいます。

 

公爵夫人となった安子は、欧米の貴族に倣ったのか、さまざまな社会活動に身を投じたことが知られています。まだその存在が社会的に認められていなかった看護師活動を広めるための日本赤十字社篤志看護婦人会、孤児救済を目的とした福田会の活動などがそうです。また、女子教育の向上をめざした大日本婦人教育会では会長も務め、『山口きらめーる』の「おもしろ山口学」によると、今ドラマで取り上げられ注目されている、日本女子大学の開学式では、祝辞を述べたといい、まさに八面六臂の活躍ぶりだったようです。

 

こうした安子の活動が、毛利家の栄誉であったことはまちがいありません。一方、医療の向上や、恵まれない人々の支援、女性を含めた国民教育の充実などは、いずれも本来、国家が責任をもって行う事業だったはずです。安子の活動と、明治政府による社会福祉政策が、どのような連関性を持っていたのか、もう少し深く考えてみる必要があるのではないでしょうか。