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第278回

2016.01.29

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写真は、毛利家の正月飾りに用いられる「御重代太刀」の拵(こしらえ)です。

 

これは、長州(萩)藩の初代藩主毛利秀就(ひでなり)が、寛永十一年(一六三四)、将軍徳川家光の上洛に供奉した時に、朝廷から下されたものであり、「代々が宝物とすべき大切なもの」として、「御重代(ごじゅうだい)」の名で呼ばれているものです。

 

形式的には「糸巻太刀拵(いとまきのたちこしらえ)」と呼ぶ、武家にとっては最上級の儀礼用の太刀拵に相当します。特徴としては、鞘の部分に定紋を入れるのですが、これは朝廷からの拝領品だということを示すためでしょうか、金箔で菊と桐の紋章が描かれています。菊と桐の紋章といえば、毛利家の所伝では、元就は朝廷から菊桐紋を使用することが許されたという伝承があります。これは、元就が正親町天皇の即位料を献上したことに対して、朝廷が、特にこれを賞して許したものだということだそうです。事実、『もりのしげり』の毛利元就の欄には、永禄三年(一五六〇)二月十五日に菊桐章を賜ったと記されています。

 

確かにこの二日前、十三日付で朝廷は、元就・隆元父子に対して、即位料献上を賞する綸旨(りんじ)と女房奉書(にょうぼうほうしょ)を発給しています。そして十五日には、元就を陸奥守に、隆元を大膳大夫に任じています。隆元に関しては、少し遅れて二十日付で、将軍足利義輝が御内書を出し、大膳大夫に任じることを伝えています。したがって、これら一連の文書は、最終的には、幕府から毛利家に、一括して手渡されたのでしょう。

 

これら一連の文書は、一巻の巻物として、今なお大切に保存されています。この出来事が、毛利家にとって、いかに名誉とされたか、そこからよくわかります。しかし、この文書群の中に、菊桐紋に関わるものはありません。菊桐紋拝領については、確たる同時代資料はないのです。資料を大切にした毛利家にあって、この事実はどのように評価すべきなのでしょうか。