山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第276回

2016.01.15

st毛利家160115合貝 写真は、「合貝(あわせがい)」といい、遊戯の貝合(かいあわせ)に用いる道具です。貝合は、二枚貝の内側に、歌や物語にちなんだ同一の絵を描き、その絵柄をあわせる遊びです。

 

貝ですから、当然つがいのものでないとあわせることができません、そこで、江戸時代になると、遊びとしてよりはむしろ、婚礼道具の一つとしての側面が重視されたようです。互いのペアを替えることができない、すなわち、嫁ぐ相手に添い遂げるという意味をもち、嫁ぎ先に骨を埋めるという意味で、上級武家の婚礼道具に必須のものとされたようです。

 

この貝も、天保十年(一八三九)に、毛利宗家から徳山毛利家の当主毛利元蕃(もとみつ)に嫁いだ、八重姫(やえひめ)の婚礼道具でした。八重姫は、文政三年(一八二〇)、長州(萩)藩の十代藩主毛利斉煕の五女として、江戸の桜田邸で生まれました。母は側室金子氏です。

 

毛利博物館に、一枚の絵図が残されています。この絵図は、広大な鴨場や海に面していることから、斉煕の隠居屋敷である、江戸の葛飾邸だと考えられます。この絵図には、斉煕居所のほか、斉煕子女の居所も描かれています。八重姫の名も、生母金子氏とともに、その中に見つけることができます。八重姫は、将来いずれかの大名家に嫁ぐ姫君として、斉煕とその正室法鏡院(三津姫)が、手元に置いて、大名家の子女としての教育を施していたのでしょう。

 

八重姫の婚礼に関する記録を読むと、婚礼をできるだけ簡素にすませようと画策する財政担当者と、大家にふさわしい婚儀を実現させようと、簡素化に抵抗する法鏡院との駆け引きが垣間見られます。八重姫の婚礼が行われた時代、毛利家のような大名家はいずれも、その体面を保ち、家の格をあげるための膨大な支出と、悪化した財政を再建するための諸施策を両立させるため、四苦八苦していました。八重姫の婚礼道具は、在りし日の毛利家の隆盛を今に伝える逸品ですが、それは、藩財政をめぐる厳しい対立の中で作り出されたものだったのです。