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第269回

2015.11.20

写真は、毛利元就の書状を、長男の隆元が写し取ったものです。

st毛利家151120毛利元就書状写元就は、機密を保持するため、しばしば隆元らに宛てた書状を返却させていました。そこで隆元は、重要な手紙に関しては、元就の教えを忘れないように、写を作成した後、正本を返却していたようです。

 

この書状は、元就が、家臣団の現状を毛利氏の危機と考え、隆元に宛てたものです。防長への領国拡大により、家臣の所領は急速に広がりました。しかし彼らは、さらに「大分限」になりたがったのです。中間・小者までが「心太」になり、主君の命令に対しても「あきない」を仕掛け、何かにつけて過分の褒美を要求するようになっていました。さらに悪いことには、賢臣志道広良の死によって、こうした悪弊を諫めるべき、老練な宿老もいなくなっていたのです。

 

こうした現状に対して、元就は、当主である隆元が、家臣に対して厳しい態度を示すことが大切だと訴えました。元就から見ると、若い隆元は、何かにつけて譜代の有力家臣たちに対して遠慮がちに見えたようです。

 

家臣たちの反発に躊躇する隆元に対し、元就は、五歳で父と死に別れ、十九歳で兄の興元とも死に別れた、自分の境遇を淡々と語ります。それに比べれば、老いたとはいえ大殿元就が健在であること、弟の元春・隆景も力になると訴えています。また、家中最大の障害であった井上一族中の不穏分子はすでに処分したので、隆元の立場は、以前に比べて格段に有利なのだから、強く出るべきだと訴えているのです。

 

自分の境遇を持ち出しながら、隆元に自信をもたせようとするのは、元就の常套手段でした。実のところ青年期の元就のことは、資料が乏しく、こうした元就自身の記述からしか再現することができません。相手を説得するための書状ですから、全くの嘘は書かないでしょうが、どういう場面で、何のために記されたのか、その背景を考慮しておくことは必要なようです。