山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第264回

2015.10.16

写真は、公爵毛利元徳の夫人毛利安子(銀姫)の肖像写真です。トレーンとよばれる、長い引き裾が特徴の、公爵夫人の正装である大礼服(たいれいふく)を身にst毛利家151016毛利安子洋装姿まとっています。

 

撮影者は、丸木利陽(まるきりよう)、当時人気の写真師だったようです。研谷紀夫氏によると、彼は、皇族や華族など、貴顕の撮影を多く手がけ、彼に写真を撮ってもらうことは、当時、一種のステータスとされていたといいます。

 

毛利家には、当主元徳・安子夫妻の写真が数多く残されています。そのほとんどは、この写真のように、写場などで撮影された、一見すると面白みに欠ける、肖像写真です。

 

やはり、研谷紀夫氏によると、元徳の写真には、日本の写真の中でも、かなり古い部類に属するものがあるそうです。また、特筆すべきは、その撮影枚数の多さだそうです。さらに、撮影者に関しても、先の丸木利陽だけでなく、明治天皇の唯一の真影を撮影したとされる内田九一ら、歴史的にみても、貴重な写真が多く含まれているそうです。

 

こうした特徴は、明治天皇とは好対照をなしているようです。明治十年代末(一八八五年頃)、西欧列強に対しては、日本の「文明国」化の進展を示すため、一方国内に対しては、天皇自ら欧風化を推進していることを強調するため、宮内大臣伊藤博文が、天皇に対して、真影の撮影をたびたび要請しました。しかし、天皇は、これをかたくなに拒んだそうです。その理由は定かではありませんが、とにかく明治天皇は、「写真嫌い」だったようです。

 

結局このときの真影は、伊藤の後任土方久元の配慮により、軍服姿の天皇の肖像画を描かせ、それを丸木らに撮影させるという奇策で解決されました。このように、当時の肖像写真の撮影には、政治的な意味合いが含まれることが多かったようです。毛利家の場合、先の特徴を、どのように理解したらよいのでしょうか。今後考えてみたい課題の一つです。