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第241回

2015.05.08

nt毛利家150508端午飾り 写真は、少年用の具足「桜糸威小具足(さくらいとおどしのこぐそく)」を中心に据えた、毛利家伝統の「端午飾り」です。

 

実際の童具足(わらべぐそく)を飾りに使う豪華さが、さすがは大名家といったところでしょうか。この童具足は、江戸中期の甲冑師根尾正信の作だとまではわかっていますが、所用者については確定できていません。どの若殿様かわかりませんが、おそらくは「具足始め」という、甲冑を初めて着用する儀式のために作られたものだろうと思われます。

 

いつの世でも、子の成長を待ち望み、自らの地位や財産、権力を譲りたいと願うのが親心というものでしょう。我が子が初めて着用する具足を、一流の甲冑師に丹念に作らせるのは、まさに親心のなせるところだと思われます。

 

ところで、江戸時代の後期、長州(萩)藩主の家系は、七代重就以後、八代治親、九代斉房と順調に嫡子相続が実現していました。しかし、斉房の早世後、十代斉煕、十一代斉元、十二代斉広、十三代敬親、十四代元徳と、すべて養子によって継承されているのです。

 

斉房・斉広の場合は、男子を得られないままの早世が原因でした。敬親の場合も、男子の誕生が見込めないことが原因でしたから、これらの場合は仕方ないとして、十代から十一代、十二代への継承は、やや複雑です。

 

斉煕は四十二歳の時、健康不安を理由に隠居します。隠居に先立ち、従兄弟の斉元を、藩主後継者である世子に据えました。同時に、実子の斉広を斉元の養子としていますから、やがては藩主の座を斉広に嗣がせるつもりだったようです。この複雑な措置の目的ははっきりせず、『萩市史』なども、曖昧さが否めません。長州藩に限らず、江戸後期には多くの「隠居」が発生します。なぜこの時期に「隠居」が多数生まれるのか、しっかりとした説明はないようです。